第59話.反実仮想
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「まさか先生と東京でお会いできるんて、びっくりしました」
黒いボブカットの10歳程度の少女が空間に外れた様に声を出す。嬉しそうな笑顔の輪郭はぼやけている。
小さな喫茶店の店内。赤いソファとテーブル。テーブルの上にはもう少しで空になるココアと、口を付けていないコーヒーのカップが離れた距離で向き合って置かれている。
白いブラウスにベージュのカーディガンを羽織る少女。反対側に座るスーツ姿の國村。
「従姉妹と叔母が東京に住んでいるんです。中学に上がる前、叔母夫婦が島を出て行くって。うちの親も、島中の人も反対して、でも叔母が正しかった」
「何かあったのですか」
國村が訊ねる。
「東京では従姉妹も叔母達も良い暮らしで」
そのまま口籠るも、直ぐにまた早口で喋り始める少女。
「叔母に還暦祝いを送るつもりで連絡したら、昼過ぎに倒れて手術の手続き。私も慌てて家を出て、飛行機。今朝、手術は成功して話も出来て、残念だけど、私は明日帰ります」
ココアを飲み干して、財布からお金を取り出そうとする少女に断る國村。
「帰ったらまた連絡します」
キルト地のリュックを肩に提げる。店のドアを開けて振り返る少女。
「先生は保護者会で、大半の人は地獄で生まれて地獄で育つと仰っていたけど、じゃあどうして、ご自分はまた故郷に戻ってきたんですか?」
古い木枠にガラスが8枚嵌まったドア。閉まり切った向こう側に黒いボブカットの中年女性。ベージュのカーディガンに黒いギンガムチェックの巻きスカート。キルト地のリュック。遠のく後ろ姿を見送って、鍵を締める男性。頭上にあるレールに下がった藍色のカーテンを引き、内側から入り口を覆う。
「塾生の保護者に何の話してるの?」
「記憶にないですね」
男性は真後ろのカウンターとテーブル席側の照明を手元が見える程度に暗くする。両手にコーヒーカップと金のフォーク、マロンケーキの載った皿を持ち、國村の目の前に運ぶ。ことことっと置くと、自分は正面の席に腰掛ける。空っぽのカップは壁の端に寄せて、花形シェードのテーブルライトのコードを引く。窓のない壁とテーブルに橙色の光が伸びる。

子供の頃を回想する國村。
「施設で一緒に暮らす事になった、名前は國村修治くん」
「谷崎先生。二人で話しても良いですか?」
先生と呼ばれるジャージを着た少年は壁の時計を見る。「五分したら見に来る」と面談室を出て、子供は二人きりになる。
「遅かれ早かれでしょ? 皆が知っている話を持ち寄ったら『大きな話』になりすぎて、修治くんじゃ隠しきれない」
ドアから窓に向いて、縦に並べた二台の会議用机と四脚のパイプ椅子。髪質の柔らかい癖毛が首元で跳ねる、目も肌も色素の薄い少年。國村の正面から興奮気味に身を乗り出す。静かに座っている國村に向けて、早口になる。
「何年生?」「二年生」
「僕は小暮 蛍。蛍って漢字でケイって読むんだ。小学五年生。それから此れは云ったらいけないんだけど、『護持』の『印章』を持っているんだ」
「……印章?」
「説明が難しいから超能力みたいに思ってくれたら良いよ。其れで此れは訓練したら偶然出来る様になったんだけど、誰がどんな能力をどんな風に使ってるのか当てるのが得意。修治くんは『秘匿の印章』。相手が知られたくない事を隠してあげるんだ」
「……実は谷崎先生が時々、中学生位に見えて」
「中学生!? 谷崎先生って『曝露』の印章を持ってるんだよね。『曝露』される方。自分の秘密がばれやすいの。多分、修治くん、今迄、誰かの隠し事には敏感で、何かまでは気にしてなくて、でもきっと無意識に協力してあげててさ。其処に谷崎先生の『曝露』を影響を受けちゃって、相手の隠し事が見える様になっちゃったのかも?」
「……よく分からないけど、蛍くんには先生がどう見えるの?」
「大人に見えるよ」
「……施設に行く日に先生達がアパートに迎えに来て……車に乗ろうとしたら、うちの玄関の内側で知らない女の子が大きな声で泣いてた」
「え? 家の中? 誰?」
二人は顔を見合わせて、答えを出せない。

玄関で泣きじゃくる少女の姿と悲鳴の様な声をいつまでも思い出す。
「私も連れて行って。私も昔は子供だったの」
穏やかな蛍の表情を見て、國村は半ば諦める様に口元を緩ませると、一度、溜め息を吐く。

「子供の頃、ずっと蛍くんといたせいで相手の秘密に気が付く癖がついてしまいました」
「また人のせいにして」
くすくすと笑う蛍。
「今日は疲れたのか幻視が酷くて」
云って、國村はテーブルに置いていた革の眼鏡ケースを持ち上げるものの、取り出さずに着地させる。
「修治くんの『秘匿』の使い方は特殊過ぎて、理解するのに随分掛かったよね。『相手の人生のターニングポイントにおける挫折に関する秘匿』なんて子供にはよくわかんないよ」
蛍は國村の手前から自分のコーヒーカップを持ち上げる。
「ケーキはあげる。マロンケーキ、今も好きでしょ?」「ありがとうございます」
國村は一口サイズに切ったシンプルなスポンジケーキをフォークで刺して、ホイップクリームを掬って載せる。
「修治の塾生の親御さん。一日、東京観光してたって楽しそうに話してくれた」[ キッチンバルYATARI ]と書かれた手元の名刺を見る蛍。コーヒーカップを口元で傾ける。
「息子さんの預け先に明珠さんを紹介したかったんですが」
「明珠くん、梶さんに会いに福岡に行っちゃってるよね?」
目線を右上に考え込む蛍と、ケーキを口にする國村。
「今日、修治くんは『東睡派』の初期メンバーに会いに来たんでしょう? 明珠くんが頻繁に訪ねる様になって、随分、話易い雰囲気になった気がする。特にお婆様方、明珠くんみたいな性別不詳の美形好きから」
「……本当に助かりました。私とでは椿瑠さんの昔話も儘ならなくて」
「初期の人達が詳しいのは椿瑠さんが戦前の酔狂団体『東睡舎』の復活に失敗した話と、親に訳有りの子供を預かっては育成失敗し続けてきた話。でも今となっては『欲しい情報』なんでしょ?」
「蛍くんも本当にありがとうございました。椿瑠さんのお弟子さん達に『私や梶さんの話』をしてくれて。おかげで少しずつ長い手紙が送ってきています」
國村と目を合わせて、コーヒーカップを置いて、溜息を吐く蛍。
「可愛い弟分の修治くんを『中央派』に取られたら嫌だよねって、明珠くんといつも話してたんだよね。椿瑠さんは施設内で特に、明珠くんに僕、美鳥ちゃん、琴子さん、修治くんを可愛がってた。なのに修治くんだけ、福岡に連れていっちゃうんだもん」
「あの場所には『秘匿』が必要だっただけです」
「修治くん、相変わらず優しいけど、だからこそ長期的には残酷なのも分かってるよね?」
素直に笑う蛍。アイボリーのニットが細身の身体を覆う。
「修治くんが助けたかったのは『異母弟の桜海くん』だけじゃなかったの? 修治くんのお母さんが描いた虎の絵。日本各地にあるままにしておけば、この国はずっと視界不良で騙せる物事も多かったのに、これから先、どんどん皆、色んな事に気付いちゃうよね?」
「蛍くん」
マロングラッセにフォークを刺す國村。
「楽しんでるでしょう」
「『東睡派』メンバーの大半さ。修治くんを『中央派』だって思い込んで警戒してるの。面白くて」
「どちら付かずなのは本当です」
「其れは明珠くんも一緒。そして僕や明珠くんから見たら、修治くんはいつまで経っても要領の悪い末っ子」
聞き入れながら、國村はマロングラッセを口に入れる。
「十三番目の印章の持ち主は干支の書の傍で生まれる。其の後は自由であるべき」
そう云うと、またコーヒーカップを持ち上げる蛍。
「人工物が生まれつき搭載されていたとしても彼は希望や絶望、あらゆる感情を持った人間に変わらないでしょ?」
「だとしても、以前の『東睡派』は、被害を最小限で抑えようと孤軍奮闘してきたのに、蛍くんがトップになってから本当にめちゃくちゃです」
蛍は國村の言葉にくすくす笑って返す。
「うちの親はさ、下らない揉め事起こして死んじゃったけど、大人だってさ、誰かに助けられるべきだよ?
修治くんだって、ちゃんと助からなきゃ」
「そういう事を云うから、蛍くんには、ずっと会いたくなかったんです」
「嫌われても仕方ないけど」と蛍は笑いながら答える。
「属性に依存した最もらしい理由を並べて、結局、言い訳しか出来ないならさ。僕も含めて、皆、平等に助からなくても良いと思う」
凛とした声の先に、穏やかに優しい蛍の表情を見せるままの蛍を見て、國村は溜め息を吐くと、半ば諦める様にくすくすと笑う。
「嫌っていません。本当はイブを保護出来たら、蛍くんに一番に会いに行きかったくらいです」
國村は再びマロンケーキをフォークで静かに切り分ける。
「……蛍くんの存在は、椿瑠さんが知りたがっていた『何故、東睡舎は集団自決したのか』との問いにもう『答え』を出してしまいましたね」
「だから、僕は今の東睡派のトップじゃないんだよ」
「……え?」
云って、関係の狭間に一言が響く。
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わんわん数: 2007