第58話.攻撃者への同一化(草稿)


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「13番目の印章? 禍の印章? 他者の写し鏡?」



 必死に訊ねる怜莉の顔をじっと見ている梶。



「其れに桜海の『安定の印章』が作り物だって、急に云われても」

「喉に細工がしてあった。昨日、オレが確認した」


 梶に云われ、見上げていた視線を外し、ゆっくりと頭を下げてから、そのまま動きを止める怜莉。


「『りんね』と名乗っている彼女が『イブ』の可能性は正直高い。『秘匿の印章』も作り物の可能性がある。


 彼女の祖父の名前が『於菟』だとしても、オレと同じ様に『名乗っていただけ』かもしれない。だとしたら当時の『於菟』は代表の実兄


【 臥待 壱 】」



 日暮れ前に交わした会話を幾度も思い出して、頭の中を整理しようとする怜莉。ぼんやりとした動きで、ブロッコリーと法蓮草をそれぞれ別の行平鍋で茹で始めると、りんねが声を掛けてくる。


「怜莉さん。私、何かお手伝いしたい」


 黒いジャージ姿の怜莉と、うさ耳の付いたフードがあるルームウェアを着たりんねがキッチンに並ぶ。



「怜莉を返して良かったのか?」


「『イブ』が子供である可能性を考えても夜中、一人にする訳には行かないし。『中央派』の警察も怜莉のマンションは張っているけど、彼女の姿も行動範囲も把握出来ていない」



 橒木家の所有する山、麓に近い坂の上の古い一軒家。梶は廊下の隅にしゃがみ込んで、隣に立つ道賢へ返事をする。



「梶。お前は大丈夫か?」



「んー。まあ、ほら。オレ、いろんな国のいろんな所に居たし。養子同士を兄弟として育てて、結婚させるのも『普通』の所はあったし」



「少なくとも桜海は不同意な近親相姦と受け止めているよ」



 表情を変えない梶を道賢はじっと見つめる。



「今日はもう休め。桜海の面倒は夜更かしの年寄りが見ておく」



「あの子らしいなって思ってさ。云ってる事もやってる事もちぐはぐしたコラージュみたいでさ。


いや、分かるんだよ?


自分が死んだら桜海はショックを受ける。でも、いつか立ち直ってしまう。


どうたら一生、囚われたままの存在で居られるか」

   
 沈黙する道賢はやがて正面の二階へと続く



「思い出されない事で守れる者の居る相手が、忘れてもなお見つけてくれる相手を望んだ」



「何それ?」 


「まりかさんとお前の関係だよ」


 やっと梶が顔を上げる。真横の壁。天井に近い位置には正方形の小窓。直ぐ真下には灯りのないブラケットライト。冷えきった短い廊下。


「『偽物』を仕立てて、印章12種類をも持たせたら実際ちぐはぐもするだろう。しかも『本物』と違って使える日が来る訳でもない。


いつ破綻してもおかしくないのに、頑張ったな、まりかさん」


「……聞かせてあげたかったな。『過去視』の出来る道賢副住職が珍しく人を褒めてたって」



 立ち上がり、斜め奥の部屋の前。障子張りの引き戸を開く。和室の四畳半の中央には法衣を着たまま背を向けて、直に座っている桜海。


「……ごめん。梶さんがまりかちゃんと付き合ってたなんて気が付かなくて」
「そうじゃないけどね?」


「……周りに合わせて『梶さんは凄い』って云ってきたし、実際そう思ってきたし、だから余計に避けていたんだと思う。


代表からも認められて、


身長も高いし、いろんな国の言葉も話せて、ちゃんとした教育受けていないって云うのに大学には行っているし……


梶さんの影響力が誰よりも大きいのも分かっていたし……顔を合わさない様にして、情報を聞かない様にして」


「まあ、長年、避けられてきたとは思ってたけど?」


「なんで皆、何も云わずに死んじゃうんだろう……まりかちゃんだって、無理やり……襲ってきて……誕生日プレセントに指輪を遺して……」


 時々、しゃくり声になる桜海。古い引き出し箪笥と階段箪笥が壁際にあるだけのこじんまりとした部屋。


「ごめん……もっと梶さんを知ろうとしておけば……まりかちゃんが考えていた事も分かったかもしれないのに」


 部屋の中に入り、桜海の背から半畳離れた位置に座り、あぐらをかく梶。


「まりかちゃんは自信がない子だから、『イブ』のカモフラージュ、自分がオレに影響を与える『イブ役』と知ったら、その役に自分は相応しくないと考えると思う。


それで、オレを任せられる様な相手って梶さんくらいで……でも梶さんに負担を掛ける事も望んでいなくて」


「……うん」


「存在し続けるより『意識から離れない過去』になる事を選んだ気がして」


「多分ね」


 膝の上に左肘を載せて、梶は頬杖を付く。


「桜海が、まりかちゃんを五分前の存在にして、誰の記憶からも消えたのに、オレが『存在しない相手』を思い出した。


『亀とアキレスの魔法』をオレが彼女にかけられたなら、桜海も『唯一』彼女を思い出せる存在になれる」


 一切、振り向かない桜海と語り掛ける梶。幾分、僅かずつ、秋の夜は室内を冷え込ませていく。


「まりかちゃんは自信のない子だったのかもしれない。でも確信はあった。自分を好きだと云う人は自分を忘れない」


 言葉に反応して、下げていた頭を持ち上げる桜海。


「自分がそうだったからね? 桜海の母親の死、高校の時に駅で自殺した友人。二十歳過ぎの純粋な答えを意図せず、オレが決定的な答えにしてしまった」


 桜海が膝に置いている湿った拳を今迄よりも強く握り締めて、視線を正座する足元に、再び移す。左手薬指のシルバーの細い指輪に雫が落ちる。


「……忘れないけど……忘れないけど……自信は無かった。まりかちゃんがツインテールじゃなかった時期は見かけても分からなかったし、何より歳上の頼りになる姉って感覚だから……だから……」


「……うん」



「それに今更、オレの『安定の印章』が作り物で、本当は『アダムの印章』だって云われても……


梶さんや怜莉よりも『強い影響力』を持っているって云われても……


怜莉も『アダム役』を知らずに引き受けさせられていて……」


「……うん」



 返事を返しつつも、目を逸らししまう梶。



「代表って呼ばせてたけど、オレの父親に違いないのにどうして何も話してくれなかったんだろう。国村さんだって異母兄弟なのに何も」


 何もない壁を眺め続ける梶はぽつりと答える。


「修治は今ならもう話してくれるよ。国村としてでなく、桜海の兄として、弟である桜海に」


 開けたままの障子の側。影が部屋から見えない場所から、作務衣姿の道賢が腕を組み、無言で二人を見守っている。



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