第57話.メリーバッドエンド


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 真屋治療院の玄関先ポーチにる灯りに照らされる花と、怜莉。対照的に仄暗い周囲。



「お疲れ様でした」



 深く頭を下げる花は肩に掛けたキャンバス生地のトートバッグの紐を握り締めている。



「こちらこそ。朝から遅くまでありがとう。随分、予定入れ替えたから大変だったでしょ?」
「いえ……」



「橘さんも花ちゃんを迎えに来てくれてありがとうね」



「真屋先生はもう少し仕事ですか?」
「うん。八時に予約が入っているから、それまでは夕食を食べて、家族とゆっくりするつもりだよ」



 引き戸のレールを挟んで会話する怜莉と真屋。直ぐ傍にある横顔を、急に遠い目をし、眺めているりんね。ブラウンのスーツの怜莉の黒髪は高い位置で結ばれて、秋の乾いた夜風に揺れる。半袖のスクラブの真屋を気にして、怜莉が心配の声を掛ける。



「花ちゃん。今日の話、直ぐに決めないで、橘くんとも相談してみてね」



「あ、はい」



 深々と頭を下げる花。挨拶は終わり、玄関の引き戸が閉まる。自宅兼健治療院の敷地内にある広い駐車スペース。一番端に止めてある車の前に案内する怜莉。



「……赤い車」



「りんねの感想。オレと同じ」
 控え目に楽しそうに笑う怜莉。りんねと呼ばれて、慌てて、花はひとつ結びの髪ゴムを引っ張って、灰色の髪を肩と背中に一斉に広げる。

 『りんね』は花の本名と、怜莉には伝えているとしても、不安げな表情を隠しきれずにいるりんね。それでも明るい振る舞いを見せ、「此の車どうしたの?」と笑顔で訊ねる。



「桜海の車なんだ。りんねを迎えに行くって話したら、乗ってっていいよって借してくれて」



「……えっと、怜莉さんが運転するの?」
「不安?」



 りんねは黙ったまま首をぶんぶんと横に振る。



「……綺麗。ピカピカして、一年生のランドセルみたい」



 呟いては、そしてRX-8の車体をうっとりする様に愛おしそうに見つめ続ける、りんね。


 やがて助手席に座ったりんねはトートバッグをしっかりと胸元に抑えて抱え、真顔で硬直している。怜莉は「りんね、シートベルト」と声を掛ける。


「あ」


 勝手がわからないりんねを手伝い、怜莉が代わりに助手席のシートベルトを締める。


「……ありがとう……ごめんなさい」


 車を動かす怜莉。


「真屋先生、明日一日、患者さんの様子を見に行くんだってね」
「うん。それで明日はお休みにしたから、代わりに今日は夜遅くまで働いてたの」



 住宅街を抜けて、片側二車線の道路を走る。そのまま沈黙してしまう二人。


「……怜莉さん、ごめんなさい」


 シートで縮こまり、俯いて、ぽつりと云うりんね。時折、走行音で途切れて聞こえなくなる『怜莉から借りた傘を無くしてしまった』という話。行き交う対向車からの明かりが入る車内でもりんねの表情は暗く見えない。


「良いよ」


 怜莉の言葉に、ばっと勢いよく顔を上げるりんね。


「高校入学の時に買った物だし。7年以上も使って……手放すタイミングをだったんだと思う」


「……ごめんなさい」


「大きい傘が欲しかったんだ。りんねも一緒に入れる様な」


 運転する怜莉のいつもよりもひときわ穏やかな横顔に、これ以上の言葉が浮かばず、またりんねは黙ってしまう。


「そういえば、さっき、真屋先生が云ってた、オレと相談して、って何の話?」


「あ、えっと……えっとね」
 また、りんねが上手く話せないまま僅かな時間が過ぎる。


「……仕事を辞めよう……と思って」


「え?」


「今朝はね。怜莉さんに先に……云おうと思ったの」


「急にどうしたの?」


「朝はね。なんとなくだったの。怜莉さん、私、バイト先で『花ちゃん』って呼ばれてるんだけど……『水野 花』って、これからどうしたら良いのかなって。私、怜莉さんには『りんね』って呼んでもらってて。

 えっと、あとね。記憶のない一年間の間、私はもしかしたら、まりかさんだったのかなって」



「りんね。まだ混乱してる?」
「ううん。あのね。あの……ね。白昼夢って、いうのかな。……まりかさんの夢を見たの」


 信号の点滅に緩くブレーキをかけていく怜莉。


「怜莉さんが云ってた通りなのかもしれない。私の記憶が無かった一年間を思い出そうとするといつも寂しいの。 

 クリスマスに雪が降って、また独りぼっちになるんだって」


 気が付くと、目からぼたぼたと雫が落とし、そのまま泣き出してしまうりんね。ぎゅっと両の手でキャンバスバッグを握りしめて顔を埋める。


「……大丈夫だよ。12月はりんねの誕生日もあるし、クリスマスだって一緒にお祝いしよう」


 信号待ちの間、怜莉はりんねの頭を静かに撫ぜ、りんねも頷きながら何度も白いパーカーの袖で目元を擦る。


「……怜莉さんの職場……お寺なのにクリスマスも?」
「敷地内に塾があって、クリスマスもイースターも、それから明日はハロウィン」
 そして左折する車。


「りんね、あのさ、オレの職場も明日休みになってさ」
「……え?」


 泣き顔を上げるりんね。車はまた左右の様々な店の看板の光を流して、走り出す。


「怜莉さんの職場、何かあったの?」
 ハンドルに手を置いて、一瞬、難しい顔をする怜莉。


「梶さんも桜海も遠方に泊りになって、明日居ないから」


 何かを考えている風に正面を向くりんねに「りんね。もし、りんねが世界の王様になったら何がしたい?」とふいに訊ねる。


「……え? 王様は……怜莉さんだよ?」


 恥ずかしそうにぽつりと返すりんねに「じゃあ」と怜莉は畳みかける。


「王様がなんでも願いを叶えてあげるって云ったら?」


「なんでも?」


 最近、りんねが見慣れた道に出て、怜莉の住むマンションが近くなる。


「願い事? 叶えたい事? 欲しい物?」


 コンビニ近くの立体駐車場入口。


「赤い……ううん……この世界の」


 一瞬、止まる車。何かを思い付いた様にぱっと表情が明るくなり、そして嬉しそうに目を輝かせて、りんねは答える。


「この世界の法律全部」


 ふっと恥ずかしそうに微笑むりんねを隣にした怜莉は緊張を持ち、暫く見つめる。


「……そっか」と怜莉は確かにしっかり優しく微笑み返した後は、気付かれない程に険しい顔をして、車を二階へと走らせる。 



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