第56話.残氓


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「改めてまして、橘 怜莉です」と挨拶の後、


「来るにしてもタイミングが早くないか?」と目の前の道賢に問われる怜莉。


「秋頃に出している近況報告をお願いする往復はがき。朝、浅雨さんから届いた返信を見ていたんです」
「葉書。此処の住所しか書いてなかったでしょう」
 ふいに訊ねる糸施に頷く怜莉。隣に座る桜海は慌てて自分宛の手紙を懐から取り出す。


「本当はこういうのも怜莉は得意分野でしょ?」と問う桜海。


「『曝露』の影響の持ち主って、表に出ている以上の情報を受信しちゃうし」


 桜海が受け取った一筆箋。此処の住所と糸施と浅雨の名字である[ 岐佐 ]とだけが書かれ、それ以上は何も無い。寂しさを影にして手元の箋に落とす。


「白紙だったけど……浅雨さんに相談も電話をしたんだ」と怜莉は言葉を濁す。


「……『曝露』の影響力がコントロール出来なくなってて」

「え!?」

「もう大丈夫」と念を押す怜莉。


「其れにオレや律の息子について、話がある様に思えて」


 フォローする様に梶が桜海に話し掛ける。


「りっちゃんの息子は『支配』の印章を持っていてね。付き合いの難しい『印章』だし、持っている人間が極めて少ない。 


 生育環境は自身と周囲への影響に関わる。


 相談相手として、同じ『支配』の印章を持っている浅雨さんを紹介したんだよ」


 カーペットの上、後方で足を組んで座る和装の喪服を着た浅雨。内側の静けささえにも伝えくるものの中、桜海は身体全てを向けて目を合わせる。


「ごめんなさい。オレ、偉そうにしてなきゃいけないのに本当に何も知らなくて」


「皆、大して違わんよ。此処に居る者達は桜海や怜莉に自分の知ってる事を伝えに来た脇役だ。名も顔も覚える必要はない」 


 道賢に云われ、桜海が再び前を向く。


「各々が各々の理由、考え、思惑を持ち、『中央』という研究施設に登録した。時期も異なれば、勉強した年数も異なる。そして各々が本来進むべき道、戻るべき道を思い出して立ち去る。


 後に集まる事もなければ、誰が何を知って、何を覚えているか、一昨日やっと話を始めたばかりだ。一番詳しいのは美鳥を保護した明珠だろう」


「私は調べられるだけ調べていただけです」


 口調も所作も中性的な雰囲気を漂わせる明珠。黒い髪を肩で揺らし、グラスの水を口にしてから話し始める。


「かつて東京の寺にあった『東睡舎』という『於菟と印章』の研究会。


彼らは戦後に集団自決し、未だ若い生き残り達は「何があったのか」との疑問の答えになるかもしれぬ、行方知れずの『干支の書』を捜す事にしました。


其れは彼らの拠点より遠く離れた福岡の廃寺で見つかり、『支配の円』を施して地域ごと保存したのが『中央』の始まりと聞いています。


しかし干支の書も書き写した紙一枚、廃寺の敷地から持ち出せない不可思議に陥り、謎は解けぬまま、生き残り達は寺も周辺の土地も買い続けました。


そうやって生まれたのが、研究組織『中央』であり、修治くんと桜海くんの父親が代表となった、というのが私の調査結果です」


 明珠は話し終えると一呼吸を置く。道賢の話に変わる。


「そもそも『中央の代表』の名、四弦は、四代目のツルとも読める。オレは当初、東睡の中心人物、椿瑠院の別名義と考えていた。


其の名を修治と桜海の父親に名乗らせたのか、本人が名乗りたいと希望したのか。


どちらにしろ理由や経緯はどうであれ、帰る場所も過去も話せない人間に、偽りの名前と年齢、居場所を与えたのが『東睡舎』にルーツを持った『東睡派』だったのだろう」


 道賢の話後半。偽りの名前と年齢、居場所を与えたのは、という言葉が怜莉の中で響く。ふと、自身とりんねの関係に当て嵌まる事に気が付いてしまう。青ざめて、更に黙る瞬間、桜海に声を掛けられる怜莉。怜莉は思い切って、道賢に声を掛ける。


「道賢さん。……代表は表向きの年齢と実年齢が20歳程違うそうですが、実際、見た目はどう……だったのでしょうか?」


「歳の通りの見た目だったな。気が付いたら世話人を付けて、部屋から出ず、雑面を使い始めたが」


「代表は何の『印章』も持っていないし、強い『秘匿』の様に姿形を変えられる訳じゃないよ?」


 梶は怜莉の方を見ず、独り言の様に呟く。


「数年前に『東睡派』『中央派』双方から、梶が代表を継いだ際は、私に監視役になってほしいとの打診があった」


 浅雨の言葉に怜莉も桜海も真後ろを振り返る。


「こうして『東睡派』でも『中央派』でもない人間が集まる事は、寝た子を皆起こす真似になるかもしれない。


妻の糸施の『世話をした子が中央の代表かもしれないという疑念』も、代表の正体を探るのは失礼として


一度は説得をした」


 梶は迷いながらも首を傾げる。


「『中央』のある市内の一部は土地が沈んできている。上空の『支配の円』も県内に広がり過ぎて、最早、崩壊している。因果が逆なのかもしれない。


東睡は『支配の円』を作れば『干支の書』の作者である、於菟と交渉する機会が得られると捉えていた気がする。


けど、支配の円は於菟の動きを制限する呪術。あらゆる自由、転生の機能すらも停止させた」


「ちょっと待って! 全然、意味が分からないんだけど!?」 


 隣の梶に対して思わず大声を出す桜海。


「他の皆には午前中に話したけど『亥の巻』はオレが持ち出した。他11冊も手分けして持ち出せると思う。一人一冊ずつ預かってほしい。


このまま、あの『中央』に纏めて置いてあるのは今後の犠牲を増やすだけになる」


「持ち出し!? どういう意味!?」


 桜海が慌てて訊ね、道賢は慣れた調子の飽きれ顔を浮かべて、ビールを継ぎ足す。周りも梶の話に様々な顔をし、怜莉は反応しきれず困惑している。


「まあ。それでイブなんだけどさ」


 続きを続けようとする梶を糸施は掌を差し出して止める。


「そう。未だ慌てないで」


 云うとジンジャーエールの冷えた瓶を持ち、2つのグラスに注ぎ、怜莉と桜海に渡す。柔らかな動作に一瞬、気を抜く怜莉と桜海の間を、はっきりとした糸施の問いが通り抜ける。


「イブはね。臥待って苗字だったりしないかしら?」



 パーカーの袖を捲り、紺色の作業用エプロンをかけている花はスタッフルームのキッチンでカトラリーを拭きあげる。ホワイトボード傍の掛け時計に目をやって、「十九時」と二十四時間表記に直し、ぽつりと云う。


 治療院の玄関チャイムが鳴り、花は一瞬、臥待鏡花の顔に戻ってしまう。


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わんわん数: 2007