第48話.404 outside range


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 不揃いに並んだ歩道との仕切り石。両開きの木製の扉。白い猫が一匹。石を跨いで、コンクリートの上にしゃがむ鏡花。猫に話し掛ける。


「最近、私、変なんだ。昨日は仕事、お休みになっちゃったの。本当は私が居なくても、真屋先生の治療院、困らないと思う」


 鏡花が撫でても温和しくしている猫。


「此処何処だろうね? お寺?」


 立ち上がって、古い扉に触れようと手を伸ばした途端。鏡花の足先に転がる猫。


 驚いて、体勢を崩した鏡花の周りに突然、現れるスチールのドア枠。枠の内側を思わず、掴んで転倒を避ける。弾みで枠の中、何もない空間に片手が伸びて、何かに触れる。


 瞬間。鏡花の目の前で振り返る、茶色のツインテールの女子高生。


 長袖シャツにタータンチェックのスカート。腰にはベージュのカーディガンの袖が結んである。


「まりか。どうしたの?」


「誰かが背中に触れた気がして」


 やがて右手で掴んでいる枠が教室の入り口になり、鏡花は廊下。学校、見知らぬ教室。窓向こうの澄んだ青空。教壇。前方の黒板。書かれた日付。


 平成7年10月7日 土曜日


「……1995年……私が生まれた翌年……」


 慌てて、振り返るがさっきまでの路地裏は見渡しても存在せず、背後にも廊下の窓が並び、青空が広がる。廊下の左右は遠く迄、クラスプレートが続く。


「……どうしよう。夢でも見ているのかな」


 誰かの声がして、鏡花はまた教室の中を見る。


 窓際の机に座るまりか。緑と赤のスケルトンキューブが付いたヘアゴム。結んでも長いツインテール。長方形の紙パックに入った林檎ジュースを吸い上げる。


「ナンパしてきた二人組居たじゃん?」
「いつの?」
「一昨日夜の! まりか、帰っちゃったけど、背の高い方、良くない?」
「覚えてない」
「まりか。放っときなって」


 金髪ショートカットの女子高生に声を掛ける黒髪のワンレンロングの女子。真後ろには明るい茶髪で外跳ねボブの女子。どちらも、まりかと似たように制服を着こなしている。


「別に良いけど?」


 まりかの返事と、それぞれの椅子に座る二人。


「まりか聞いてよ? あたし、彼氏とケンカして」
「だからリョーコも梓も頼りすぎって。まりか、弟の面倒も見てるんでしょ?」


「桜海くんは弟じゃないって。でも近、怠いし。学校辞めようかな」
「まじ云ってんの? まりか居ないとうちらランク落ちなんだけど?」
「何それ。意味わかんない」


 片手でくしゃっと潰した紙パックに視線を落とすまりか。


「てか、何で机に座ってんの? 椅子は?」
「リョーコが座ってるじゃん」
「自分の持って来たけど?」


「あれ? あたしの椅子は?」


 鏡花はまるで舞台袖から眺める様に、まりかと周囲のやりとりを追う。


 やがて窓の外は赤く染まり、徐々に紫色になると直ぐに夕方は無くなる。


 まりかと黒いワンレンロングの女子高生が残る教室。


「月曜、朝から病院? 聞いて良い? なんで精神科なの?」


「桜海くんのお母さん。母親の親友だったんだけど、あたしが小六の時に急死しちゃって。……あたしだけなの。しつこく引き摺ったまま」


「……そっかぁ。そういうレベルなんだ。実はさ。私、学校辞めるか悩んでてさ」
「イヅミが? なんで?」
「1月と3月に色々あったじゃん。父親、失業してこっち戻ってきたし。兄は寝込んだままだし。家庭崩壊中って感じ」

 また変わる空の色。昨日よりもワントーン落ちる青空。


 遅れて登校してきたまりか。リョーコと梓と呼ばれる二人の女子高生が、駆けよってきて、必死に何かを訴えている。


 教室が真っ暗になり、空席に一人座るまりか。影と竜胆に寄せる一輪差し。


 鏡花は動揺して、掴んでいたドア枠から手を離す。


 音も無く辺りは薄い欠片となり、其れは雪になり、鏡花へと降り注ぎ始める。



「……ごめん。オレ、やっぱ独りが良い」 



 舞う雪の中で立ち尽くす半透明の存在に気が付く鏡花。


 俯き続けるまりかに重なり消える誰かしらの言葉。透けながらも分かる鮮やかな緑色のダッフルコート。ツインテールが突如の風で前に流れ、白い息を吐くまりかを最後に、鏡花の見ていたものは全て消えて無くなる。


 元の路地裏。鏡花は辺りを見回す。足元にも何処にも白い猫が見つからない。肩に掛けた重いトートバッグの紐を握り締める。



「……梶さん?」


 空港のカウンタの列に並ぼうとしているところを呼び止められる國村。


 空港デッキの壁際で冷え始める秋風に触れるスーツ姿の梶と國村。


「修治は生まれはこっちだけど、育ったのは北陸だっけ?」
「ええ。寮暮らしです。長期休暇は関東の寺で世話になっていました。大学と院は関西です」


「オレは和歌山生まれなのね。でも物心つく前に家族で海外に出た。両親それぞれ、趣味や目的が違うから、年単位で別行動な訳。妹は母親。オレは父親。父親はひとつの土地に留まる事がない」


 遠くで離陸の為に加速するボーイング機を見る梶。


「大学を休学して此処の空港に一人で降りた。長居をするつもりは全くなかった。共同翻訳者の都合で、せいぜい一年の予定」


 國村は陸に降りる順を待ち、旋回するエアバス機を追う。


「於菟が生まれ変わっているかもしれないと話したけどさ。あれ、納得が行ったの?」


「そうですね。人の寿命では有り得ない期間、平安時代から存在していたという記録。しかし不老不死というより、情報を新しい身体に引き継ぐ事を可能した、と考えれば無理は減ります」

 國村の右手首に巻かれた時計。蛙の絵が閉じ込められた文字盤を梶はちらっと見る。


「ずっと蛙を気にしていますね」


「亥の巻にはヤバイものの作り方が載っているというけど、戌の巻には幾つか作れそうな物が書いてあるだろ? 


 蛙を閉じ込めた時計もそう。


 弟思いで『秘匿』の影響力を持っている修治を都合良く利用して、飼い続ける為の術」


「組織に於いては真っ当な『秘匿』の使い道でしょう」


「嫌な考え方だね。でもオレが約に立たなかったのも事実」


 二人が眺め続ける飛行場内エプロンには荷物を牽引するトーイングカー。見送る人達は立ち去り、また別の人と入れ替わるデッキ。


「オレはさ。見たくないし、知りたくなくて、拒絶した」


「まりかさんの件……以降でしたね……」


「修治も止めようとした事があるんだろう? 彼女が命を掛ける必要なんてなかった」


 溜め息を吐く梶。顔を上げる國村。


「話を戻すけど、於菟は一族、集団。つまり、元は団体名だったのかもしれないって説もあったみたいね。代々、各々が於菟と名乗り、各地に現れたって」


「推測のひとつですけどね」


「で。此処からはオレの勝手な意見ね。其の推測を元に考えると、閉じた集団は絶える道に近い訳よ。


 彼ら、或いは誰か一人の結論として、12種類の印章を全て含んだ13番目の印章を作り、使う知恵が出た」


「訊きますけど、於菟が集団だとして何の為、誰の為と考えますか」


「日本そのもの」


 腕を組んで訊いていた國村は正面を見たまま、反応をやめる。間もなくして「本当に貴方は」と、呆れた風にくすくすと笑う。


「於菟は、宗教的様々な物を盗んだと云われているけれども、自分の家に届いた信書を書き写すのは罪なのか? 国に還元出来るものは全て還元する。


 13番目の印章の持ち主も本来は災禍を招く訳ではない。


 情報を得て、生成した答えを出す様になっただけ。其れこそが於菟の想定の範囲外。だからこそ於菟自身も、13番目の印章を生み出した責任から、自身が生まれ変わるシステムを導入した」


「仮説としては興味深いものがありますが……」


「難しく考え過ぎなんだよ。でさ。前は見落としていたのか、後に書かれたのか。とりあえず見た方が早いから」


 梶は場に座り込み、下ろしたビジネスバッグの中に探る。國村は手元を見て、隣にしゃがむ。


「……梶さん……貴方」


 今度は國村が大きな溜息を吐く。取り出された『亥の巻』の開く梶。最後の頁を國村に向ける。


[ Cat has nine lives ]と書かれた文字の真下に[ Curiosity killed the cat ]と書かれている。


「好奇心が猫を殺した。要はシステムは機能しない。於菟はもう居ないのかもしれない」


 梶は瞬間吹く強い風の中、『亥の巻』をしっかりと閉じ、再びバッグに仕舞い込む。


「……どうやって持ち出したんですか。今迄、誰が試みても敷地からは持ち出せなかった」


「自分の物を自分の行く場所に持って来ただけ」


「……どういう事ですか」


「名乗るだけで良かった」


 それから立ち上がる梶。


「オレが『於菟』だって」


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