第47話.ニュートンのキャットドア


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 手元のケータイを閉じて、降車ボタンを押す怜莉。暫くするとバスが停まる。


 降りた先は洋菓子店の駐車場。千景が自分の車に寄りかかっている。


「ごめん。昨日、電話貰ってたの忘れてた」


 声を掛ける怜莉。


「此処、従業員用の駐車場じゃないの?」

「明日のハロウィンのお菓子、追加注文に来て店長の出勤待ち」


 未だ開いていない店の入り口を見る二人。不規則に四角く青いタイルが貼り付けてある白い壁。木製枠のガラスドア。[ CLOSE ]のプレート。


「怜莉の理想の女性ってどういうタイプ?」


「え?」


 怜莉は質問に困惑した様な顔をして、千景を見る。リュックの紐の片方を肩から下すと、無言で千景の隣に並ぶ。


「借りた傘を置き忘れたって、朝一で捜しに行く辺り。怜莉が好きそうな性格ぽいんだよ」


「うん。以前、高校の時から使っている思い入れある傘って話したせいと思う。ただの古い傘なのに」


「さっきさ。彼女の『印章』を視ようとしたんだよ。相当頑張らないと、オレでも視えなかった。わりと分かる程度の人じゃ無理」


「え? 何でそんな事したの?」 


 驚いて、千景の横顔を見る怜莉。二人の前。半端な舗装の歩道を学生風の男性が通り過ぎていく。


「オレ、部外者な筈だし。乗り掛かった舟でもいざとなったら、百音を連れて出て行くつもり」


「千景は何を何処まで知ってんの?」  


「7年前。『中央』から帰って来た百音が『秋さんの婚家、想像以上にヤバかった』って」 


「……誰?」


「國村先生の母親」


「え、ちょっと待って。婚家って……もしかして代表の?」


「あ」


「あ、じゃないって! もしかして國村先生と桜海って異母兄弟なの!?」


「そうなるけど。秋さんは内縁」


「桜海は知ってるの!? 内縁でも代表の前妻と息子でしょ!?」


 動揺する怜莉に「云わない様に念を押されてるから!」と早口で云う千景。一呼吸、置くと


「ついでだから、もう色々ぶっちゃけるけど」


と大きな溜め息を吐く。


「百音とはバイト先の書店で知り合ったって云ったじゃん?


 店長が水墨家の國村秋研究に関わってて、其の頃に『中央』の存在も知ったし、絵を管理してた椿瑠さんとも知り合った」


「椿瑠さんって『東睡』の前任の管理者だよね?」

 

 ネイビーのネルシャツとグレーのテーパードパンツ、ラフな格好の千景と対象的なブラウンスーツの怜莉。遠くの信号が変わり、四車線の道路を何台もの車がすれ違っていく。


「オレ、あの人、嫌いでさ。


自分が助けた相手が、自分にどういう感情向けてくるのか分かってない。ムカつく」


 ボンネットに置いていたペットボトルを持ち上げる千景。蓋を回し、口元で傾ける。


「実家で邪険にされた秋さんを中央に連れてきた。なのに、研究会が接触するまで、秋さんの存在すら忘れてた。


 そういうの一番腹立つんだよ」


 怜莉は千景の言葉に静かになる。

 

「オレが塾講師、辞めるのそういう理由もある。無責任に教え子を増やしたくない」


「千景、真面目だよね」


「怜莉はこのままで良いと思ってんの? 自分、無駄にして生きてくの?」


 問い掛けて、考える様に黙り込む。歩道では自転車と歩行者が上手く道を譲り合えず、まどろっこしい光景が続く。


「彼女。怜莉の『曝露』の『影響』を受けてたじゃん」


「え?」


 車体から背を離して、怜莉は後方を振り返る。千景と怜莉の間。怜莉が向けた背のリュックにかかる白い靄が一瞬、円状に広がる。ハッとして、気まずそうに姿勢を戻す怜莉。


「桜海がよくやるボケじゃん。自分じゃ確認出来ないのに」


「……だね」


「怜莉が桜海に似る必要ある?」


 問いの意味が掴めないとばかりに困惑の表情を浮かべる怜莉。千景は蓋を閉めたペットボトルをまたボンネットに置く。


「此の店」


 指を差す千景。[ diddle diddle ]という店名と月を飛び越える牛のイラストが印刷された壁面の看板。


「卒業した元生徒が働いてんの。店のオーナーが『東睡』と『中央』の出資者。

 地元の人間が『於菟宛』に不透明な多額の寄付を椿瑠さんを通して 『東睡』や『中央』に渡してた」


 唐突で要領を得ない千景の話。リュックの肩紐を元の位置に戻す怜莉。

 

「百音の我儘で、此の街に家建てて、本気で後悔してる。オレも百音も帰る家がなかった。でも何で此の街にしたのか、今頃、凄い嫌になってる」  


「千景さ、何が云いたいの?」

 

 目の前を市営団地行きのバスが通り過ぎて直ぐに信号待ちの列で止まる。


「國村先生と梶さんから訊いた。『中央』敷地上空。『支配の円』を此の街に作ったのも椿瑠さんだって」 


 怜莉は千景の言葉にバス停先、中央の方角に視線を動かす。


「もう本当、自分に苛々する。オレも怜莉も情報半端で判断ミスって『中央』とか『東睡』に来てさ。巻き込まれたって感じ。怜莉は自分が何したいか云える? オレは少しでも状況見て、動ける方向捜したい」


「千景。さっきから何が云いたいの?」


「は? これから、どうするか考えてるんだよ。怜莉こそ、ここまで話を聞いて、何か考えろよ。自分が最初、何をしたかったか思い出しとけよ」


 云うと黙り込む千景。千景は時折、無遠慮を抑えなくなる事を思い出す怜莉は、遠く奥まる空に疑問の様に視線を移す。



 開館前の図書館入り口で硬直したままのりんね。


 固定された傘立てに四本の傘。どれもロックされている中に、怜莉に借りた傘は無い。りんねは我に返り、辺りを見回す。建物脇の他の入り口まで走るものの、置いてある2本の傘のどちらもが違う。



 急に暗くなる通りに出た、りんね。ひとつに結んだ灰色の髪を下に向けて、紅葉の赤とは対象的な暗い木陰が続く路地裏を歩き続ける。


 いつの間にか迷い込んだ長い道。ブロック塀に両側を挟まれた圧迫感が細長い通りをより暗く狭め、見せなくしている。


「りんね!」


 突然、左側の壁向こうから女性に声を掛けられて驚いて、様子を窺っていると、母親が『りんね』という名前の子供を捜している声が響いて消える。


「りんねって名前、他にいるんだね」と呟き、声のした方の壁に背を向けるりんね。


「……傘がないの」


 云って、上げる顔はりんねではなく、鏡花に戻っている。入り口から来る風は突風になり、りんねは位置に押される。


 目の前には、この世のものではない者が尋ねて来ない様に閉ざされる西の棟門がある。


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