第40話.割れ窓の寓話

 


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 ケータイを切ると、立ったまま、雨が打ち付けた後の窓を眺める松田。


 梶と國村が座る和室の入り口前に戻ってきて、腰を下ろす。


「桜海、何の用だって?」
「怜莉くんが早退したって」
「なんで?」


 國村は傍らに資料を積み終えると、梶を見る。


「修治の電話はなんだったの?」


「元警部さんです。梶さんと一緒に怜莉くんの面倒を見ている、小松刑事の元上司です」


「何が何だか分からないな」


 20センチ程の高さになった資料の山に、國村は手を置く。


「多くの登録者が、仮定、推測を元に研究をしてきました。貴方の役に立ちそうなのは此の辺りでしょう」


 云うと立ち上がる國村に、松田が勢いよく声を掛ける。


「待って! 何処に行くの!」


「千景くんが早退しましたから、夕方以降の授業は引き受けます」


「一日中、開けている塾ってのも大変だね」


 襖の丸い引手に指を掛けている國村と、和綴じにまとめられた束を手元で閉く梶。


「此の期に及んで、未だ二人とも話する気も無いの!?」


 呼び止める松田の方を向く梶と國村。


「……足並みは揃えない方が良いのです。


於菟を研究していけば見たい物しか見えなる。正体は鏡。


同じ考えになれば、同じミラーハウスに閉じ込められます」


「でも省吾さんはいつまでも勉強しないし!」


「えー」


「また適当な返事! 修治も動かないで!」


 松田は其の場で電話を掛け始めて、スピーカーにした通話口から呼び出し音が長い間、響く。


「千景? 何処? 莉恋は私が面倒見るから。戻ってきて! 授業して!」


 云うだけ云うと、電話を切る松田に溜め息を吐く國村。


「千景くん、返事していませんよ?」


「そういえば、オレを名前で呼ぶのって百音ちゃんだけよね?」

「だから! 省吾さんは何で話を逸らすの!」


「ちょっと不味いなって思って」


 作務衣を着た梶は持っていた資料集を床に置く。それから壁際額縁の12種類の印章の図を指差して、松田だけが先を見る。


「そもそも印章なんて面倒な名前が付けただけで、正体は単なる『人よりも大きい影響力』なんだよね。


でも影響力の強さが可視化、数値化されると万人が知るなれば、大抵は余計に面倒。光輪や光背が罪人にあっちゃ不味い。


聖人以外の影響力を認めたなら、パワーバランスが崩れる。


偶然に辻褄の合う理由が成り立ったのが仏教。けれども一過性であり、『於菟の下』にしか残らなかった。


そもそも宗教が人の思想を反映させる以上、天文を必要とした於菟の研究は相性が問われる。と、まあ、百音ちゃん、こういう風に一通りは勉強してきたけど?」


 松田を見る梶の話に、國村は諦める様に再び畳の上に座る。


「大人同士の話なんて、聞き手と話し手に分かれなければ、互いに好き勝手を云うだけになりますよ」


 今度は國村が松田を見る。


「先日も梶さんに話しました。あらゆる疑問には宗教的回答が用意されている。納得が行かないのならば他を当たれば良い。ありとあらゆる学問すら行き着く先は神の域です」


「で、オレさ。中央に来て思った事があるのよ。日本各地から赴いて、宗教施設だか研究施設だか、よく分からない此処に来ている僧侶達。少なくともオレが此処で見た限りじゃ、風変わりな事を学んだ満足感もしくは箔をつける為に来てた」


 二人から話掛けられる松田の握り締めるケータイの、ストラップの鈴の音が鳴る。


 和室の入り口前片隅で梶と修治は、お互いに気遣いながら丁寧に思う事を口にしていく。


「中央に来る為だけに僧籍を貰う者も居ますからね。通信講座もありますし、短期間での得度は出来る。現に小松刑事も資格は持っている」


「まあ、但しよ? 過去の一時、配られていた虎の絵を渡された登録者は印章持ち者が多い。修治の母親の遺した、良いも悪いもあらゆる秘密を守ってくれる『虎の絵』が配られなくなったから、としても。中央の方針や意味が何処かのタイミングで変わってる? よね?」


 國村はもう一度、大きな溜め息を吐く。


「修治さ。代表の息子、桜海が『13番目の印章』を持って生まれたのは『印章のジンクス』が発生したからじゃないの?」


「捉え方によってはそうなるかもしれませんし、私にも思うところはあります。しかし認める訳にはいかない」


「でさ。修治の始めた無料塾の生徒はどうよ? 県外からも、印章を持った子供だけを受け入れて、分かった事あるの?」


 考えながら黙り込む國村をじっと見た後、松田は梶と目を合わせる。


「少なくとも『イブ』は来ていません」


 今度は梶が意味を捜したまま、黙り込む。


「桜海くんはあくまでも『13番目の印章』の半分である『アダム』の印章。


過去の記録によれば、後発である『イブ』の印章を持った者は追って12年以内に産まれる。


 『アダム』は『イブ』を捜そうとし、『イブ』は『アダム』を捜す様に作られている。


しかし『彼女』を桜海くんと会わせる訳には行きません」


「オレはさ。日本でも『印章のジンクス』は発生するし、オレ自身も発生させたと思うのよ?」


「どういう事?」


 松田は視線を投げ、ケータイを握る指に力を入れる。


「オレの『印章のジンクス』は、オレが心配している人間に起こるらしくてね。


インドに滞在中。友人の助けと思い、『背後にある円』の記録をし出して間もなく、彼は無理心中に巻き込まれた。


中央に所属して、印章の概念を知って、ジンクスとの関連を疑う様になった。そして、まりかちゃんを亡くした。更に当時は、怜莉の面倒を見ていた」


 梶は松田を見て、「ね?」と云う。


「修治。桜海が『イブ』と会ったら、何の問題がある訳?」


 國村は躊躇いつつ、答えを返す。


「桜海くんには善悪を求められません。


『アダム』の行動決定は『イブ』にあり、『イブ』の意思決定は『他者』にある。


『イブ』が禍を招こうとするならば、残念ですが、桜海くんは手を貸してしまうでしょう。


更に質が悪い事に歴史が繰り返すうちに『アダム』に出来る事は近代の『イブ』も出来ると推測されている」


「じゃあ何? 桜海がまりかちゃんに懐いたのって『イブ役』だから? しかも、まりかちゃんには何も教えず、子供の時から『イブ役』を押し付けてきたの?」


「そうなります」 

 梶は、一気に話していた流れを止める如く、深い息を吐く。國村と松田、どちらの顔も見、話を続け始める。


「だったらさ。怜莉は『アダム役』を押し付けられていたりしない?」


「ちょっと待って! なんで私の可愛い怜莉くんまで、どうして!」


 松田が梶の前に身を乗り出した瞬間。梶の真後ろで襖が開き、梶が振り返る。


「えー?」


「あれ? 本当に入って来たら駄目な奴……でした?」


 千景がまとまって集まっている三人と、和室に散らばっている多くの冊子に目をやる。敷居を跨ぐのを辞める。


「百音と國村先生のどちらにも用が合って、梶さんにも」


「え? オレ?」


 梶が素直に訊ねて、國村は千景から梶に目を移す。松田だけは開いた口が塞がらず、千景をじっと見ている。


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