第41話.天空のティーポット
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和室の床の間に置かれた本棚。床脇の地袋上の本立て。畳の上の資料集を戻し終える千景。
松田が部屋を出た後。梶と國村の前に積まれ、時折、手に取られる資料以外、片付けられる。
「平安時代から生きている人間の倫理観とか、道徳とか、善悪正邪ってどうなっているんでしょうね?」
「オレからしたらさ。誰も入って来れない隠し部屋、に入って来た千景も訳が分からないだけどね?」
腰を下ろす千景。國村はくすくすと笑いながら、千景に片付けの礼を云う。
「國村先生は於菟をみつけて、どうするつもりですか?」
「何も考えていません」
梶が國村の顔を見る。
「相手の出方次第。於菟は『私を捜すな』と幾度も書いています。ならば、於菟は存在して、何処かに居る」
「結構、詳しく話してるけど大丈夫?」
「松田さんが自宅で話しているでしょう。それに遅かれ早かれ、千景くんは『中央』に所属してもらうつもりでした」
「えっ」「え?」
千景と梶が驚いて、顔を見合わせる。
「確かに千景みたいな、生まれつき他人の影響を受けにくい『キャンセル』の持ち主は希少だけどさ」
「でも、オレは影響力の方を持っていませんよ?」
「所属の条件に、強い影響力を意味する『印章』の持ち主と決めたのは前代表です。次の代表の梶さんが良しとすれば……」
梶は「えー」と云いながら、千景の顔をじっと見て「塾講師は良いの?」と訊ねる。
「……悩んでいて。来年度から大学進学の相談にも載るなら、正直、不向きなので」
「何で?」
「私情です。オレの親、理系大学しか認めなくて。
バイト代で受験費用出して、希望の芸大受かったんですけど、入学時の保証人も、一時金の立て替えも断られて。
奨学金と寮も叔母が保証人を引き受けると言ってくれたのですが」
千景は襖に視線を落とす。
「四年も世話になるのは申し訳なくて。結局、諦めと妥協を選んだので」
「周りの応援や支援があっても、制度も法も関わってくると確かにね」
「千景くんは梶さんの次に、『印章』がしっかり視える貴重な人材ですし、立ち上げから関わってもらっていたので……講師を辞められるのは痛手ですが」
「寂しがる生徒が居たら声掛けてください。オレ、生徒には好かれているし。って、國村先生も辞めるんでしたっけ?」
「で、千景が『中央』に来るとして、オレからは何処から何処まで話して良い訳?」
壁に寄りかかりながら、國村を見る梶。
「梶さんと千景くんで決めてください」
國村は云うと、両掌を後ろに着き、背筋を伸ばす。
「結局、修治は別行動したい訳ね?」と梶は呟いて、再び顔を向けられた千景は「國村先生、基本、勝手が多いんですね」と話し掛ける。
「結局、夕方以降の授業、他の先生に任せるし」
「密談中に入ってきたにしては随分な云い様ですね」
姿勢を戻して、僅かに微笑む國村。
「百音ちゃんが来た後、部外者が入れない様に中のガード強化したんだけどね?」
梶の困った様な口調に、また國村はくすくすと笑って「部外者なんて私達では決められないかもしれません」と返す。
「まあ、千景は、怜莉の研修期間にかなり協力してもらったし、他にも助けてもらったし」
「他の先生達に、子供に『曝露』された所で大した事がないって理由を説明しただけですよ」
「オレ、『他人の心の声』が分かる人間の安全性を説明しきれないんだけどね」
「そういうの、案外、周りが納得するのを拒んでるだけですよ。あ。さっき、桜海と会って、ジャックオーランタンを貰って」
「……桜海ねぇ」
梶と千景のやりとりを國村は静かに眺め続ける。
裸足に雪駄を履いて、東睡の建物の外に出る梶。次いで千景も外に出ると真後ろの扉をピシャリと閉めて、横を並ぶ。
「気付きたくないだけ。気付いても見て見ぬ振りになってしまう。どうせ、出来る事なんてない」
「なんですか? 其れ」
「口癖。千景はどうして今頃になって事が動いていると思う?」
「さっき、自分が云った通りじゃないですか? 気が付かない様にしてきたんでしょ?」
「はあ。千景って、本当、はっきり云うよね?」
「桜海も怜莉も歳上は敬って当たり前と思ってますよね? オレは口だけが丁寧なんで」
梶は笑いながら腕を組む。真っ直ぐな視線は雨上がりで未だ濡れたままの庭を過ぎ、本殿の二階を見上げる。
「ハローウィーンの定番は南瓜ですけど、折角なので生徒達にはサウィン祭を教えたいと思って」
「千景は世界史担当だっけ? どうして『印章のジンクス』は日本では起きないと思う?」
セージ色のカジュアルシャツを着た千景は、話し始める梶を見る。
「オレはこう考えている。単純に『気付かない』『知ろうとしない』で済まてきた。
於菟は『日本ではジンクスは起こらない』と書き残しただけ。仮に起きても、誰しも見て見ぬ振りをしてきた」
「國村先生も『中央』に閉じ込めておく為に作られた時計……気付いているのに外してませんね?」
「本当よく視てるね? オレ、もう全部、嫌」
乱形石の玄関ポーチにしゃがみ込んで、抱えた腕に顔を埋める梶。足元で軽く泥を跳ねながら、庭を渡ってくる桜海。
「助けてほしいって思ってる人間を自分の善悪で突き放さないって、本来の『中央』や『東睡』の教えでしょう?」
「梶さん。千景。何してるの?」
声を掛けられて、顔を上げる梶。
「桜海。両手上げて?」
「え? え?」
桜海は千景を見るが、千景も首を傾げる。法衣の袖丈を揺らして、万歳をする桜海。
「オレさ。身長高いじゃん?」
「ケンカ売られた!?」
「桜海、口開けて?」
「えー。なんなの? 虫歯ないよ?」
立ち上がって、開いた桜海の口の中を覗く梶。二人の奇妙な言動に立ち会う千景。
「云いたい事は幾つかあって……気付けなかった。すまない。それから」
「え? 何?」
「桜海。一年間、何処にどうやって」
「まりかちゃんを隠した?」
1105室。
寝室で、泣いているりんねを寝かしつけた怜莉はベッドのシーツの上で繋いでいた手をゆっくりと解く。手を伸ばし、りんねの灰色の髪を撫ぜて、長く座っていたフローリングの床から立ち上がる。
居間のローテーブルでノートパソコンを開いて、検索窓に[ 水野花 ]と打つ。
ヒットするのはフリーペーパーKARENのライターに関するページばかり。テーブルの下では形の崩れたトートバッグから零れる多数の香典袋。水野花名義の通帳。
怜莉は、ふいに目に留まる、もう一冊の通帳を、一瞬、躊躇うも引き出してしまう。
[ 臥待 薫 ]
表示される検索結果。KARENの母体、NPO法人シダーウッドのメンバー欄に名前を見つける。
開いた3つのタブの一番右には[ 図書館 開館日カレンダー ]の文字。
「……最低。どうして調べてしまうのだろ……」
怜莉は呟いて、額をタッチパッドに沈める。隣に置いたままのティーポットが弾みで微かに揺れる。
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