第39話.バックルームのプロバカートル

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 車の助手席に八足を乗せる千景。後部座席には、ふわふわとした金髪ボブカット、紺色の制服を着た少女が座っている。傍らにはラベンダー色のランドセル。


「落ち込んでる?」「別に」「連絡先、教えたんでしょ? 来たくなったら来るって」


 八足がシートベルトを締めた事を確認し、車を出す千景。


「莉恋が熱出して、迎えに行ったんだよ。八足くんを塾で降ろしたら、今日は仕事早退するから」


「夏目先生」


 車列の流れを見て、国道に入るタイミングを窺う千景。


「橘さんの知り合いでした」


「え? そうなの? 橘って怜莉だよね?」


 千景が答えた瞬間。轟音を伴う強い雨が降り出し、車体に当たる。歩いていた人々は慌てて、様々に傘を広げ始める。


「これから話す事、誰にも云わない約束してもらえますか? 莉恋ちゃんも」


 後ろを振り返る八足に「分かった」と直ぐに返す莉恋。車内は豪雨の中に閉じ込められる。


「今日、見学に行きたいって頼んできた子。『自分はもう存在していない』って……でも……存在していないのは」


 自身のスニーカーと通学バッグに視線を落とす八足。


「橘さんの影の中に、一瞬だけ、背中合わせに立って見えた女の人です」


 国道に入って、車を進ませる千景はハンドルを握ったまま「んー?」と考えている。


「お化けなの!?」


 後ろから莉恋が好奇を含む大きな声を出す。



「限界です」


 鋏を持つ幼い黒い髪の鏡花。


 居る部屋の遠い壁の向こうから、響き渡る母の声。鏡花の耳には入らないのにカーテン越しの窓は悲鳴に振動している。


「授業を聞いていないなんて次元の話でなくて心此処に有らずという感じで一日中鋏を持って家中の箱を切って突然食器棚や冷蔵庫の物を一列に並べて確かに年長の時に弟を亡くして構う余裕はありませんでしたし面倒を見ていた父方の祖父も祖母とは別宅に住んでいたので祖父も亡くなって通っていた幼稚園は養護教諭が卒園時には問題は確かに幼稚園の友達とは別の小学校もうすぐ二年生になるのに最初はカッターを持って」


 一軒家の奥にある隠し部屋の様な子供部屋。昼間もカーテンは閉められて薄暗い。


 フローリングの床に座る小学一年生の幼い鏡花はレトルトカレーの箱を手に取ると接着部分に鋏の刃を入れて、真っ直ぐに滑らせていく。



 そしてバックルームのドアは外側から押されて、コンクリートの床に一筋の光が入る。



 カナリア色のエプロンを掛けて、髪をポニーテールにしたまりかは、カッターの刃を仕舞う。開いたばかりの段ボールを畳む。


「まりかちゃん」


 入って来た女性は同じ色のエプロンを外しながら「今日は二人とも上がっていいって」と声を掛ける。


「あ、はい」


 まりかは重ねた段ボールを持ち上げて、他に倣って壁に立て掛けていく。


「そういえばドラックストアカメヤなのに、店のキャラクターって犬ですよね?」


「それね。お客さんが教えてくれたの。昔は、犬をカメって呼んでいたって」


「ますますよく分からないですね」


「まりかちゃんもレジ打ちに来たら? 暗い所じゃしんどくない?」


「方言、良く分からないし、バックルームが好きなんです。其れに2月にバイト辞めるつもりで」


 まりかは後ろボタンに手を掛けて、エプロンを外す。



 帰宅したまりかは居間のビーズクッションに凭れかかる。今日の仕事を思い出しながら、意識を混濁させていく。



 かたんっと音がして、目が覚めて、発話する。



「おはよう。桜海くん」


「……え?」


「え?」


 ローテーブルにティーポットを置いて、ソファの縁に片膝を載せていた怜莉は、りんねの顔を見つめる。


「……何で……桜海?」


 夢現のまま、りんねはベランダ側の壁を端から端まで眺めて、視界に黄色の椅子をみつける。ソファに寄りかかっていた身体を起こして「私、眠ってた?」と訊ねる。


 テーブルの下の無造作に置いたトートバッグから雪崩れる香典袋。目にしてしまった途端、はらり、とソファに涙が落ちて、りんねは「怜莉さん」と口にする。


「あたし、どうしたら良かったのかな? 飛行機」


 困惑している怜莉と泣き顔を合わせるりんね。


「梶さんに予約してもらったら良かった? 梶さんに話せば良かった? どうして、あの時も助けてって、云えな……」


「りんね?」 


「……ごめんなさい。わから……な……怜莉さん、私……りんねだよね? りん……」


 俯いて、りんねは両手で顔を覆い、「どうしよう。どうたらいいの? りんねはどうしたらいいの?」と混乱している。


「りんね!」

 怜莉は思わず、耐えきれず、押さえ込む様にりんねを覆い込む。


「……私、誰だったの」 


 温度もあるのに手応えも確かに感じるのに、顔も声も『りんね』ではあるのに、正体が分からない相手を怜莉はきつく抱き締め続ける。


「りんね。どうしたら良い? オレもりんねの事……何も……」 


 云い掛けて、やめる怜莉。


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