第43話.Image of God
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それから千景は運転席側のドアを開ける。ケータイを耳に当て、呼び出し音を聴くものの応答は無い。
遠くから響く音で目を覚ます、りんね。突き当りには白い壁。身体を起こし、逆さまになって蟹に見えるぬいぐるみを抱き締める。
シルクのパジャマを着たりんねはぬいぐるみを抱いたまま、寝室と居間の間の小部屋から、音がするキッチンを覗く。
正面を向き直すと見慣れたローソファの背凭れ。黒いテーブルの上でケータイが振動している。
「過去の報告によれば、多くはイブが泣いている処にアダムが通りかかる。
イブは他者の『写し鏡』。云わば、周囲の現状の集積。
新着、更新、ニュース。
伴い、人々の感情が記録されていく。
近年、メディアの広がりと共にイブの持つ情報は世界にまで広がり、於菟が示した通り、日本を出ずとも世界を知る機会は増えた」
松田は閉じられた紙の束を捲って読み上げる。立ったまま、襖が収まった戸袋に背を押し当てる。
「近年になって、椿流さんのお弟子さん達が纏めてくれた物です」
國村の言葉に、腕を組み、廊下に立っている梶が反応を示す。
「自身の研究結果ですら『中央』若しくは『東睡』内に置いていかねばならない決まりがある。此処にある資料の数は膨大。其の中で、覚えている限りの重要な点を書き出し、送ってくれました」
「私、此れ、初めて見たんだけど? 正直、代表より、『東睡』の前任管理者、椿流さんの信頼度って高いよね」
百音は和室の壁に持たれている國村を見る。
「そうですね」
「省吾さん、話についていけてる?」
「まあね」と答える梶。続きを口に出して読む百音。
「イブの印章を持ち主はもれなく不幸であり、アダムの印章の持ち主は応じる様に、二人で多くの禍を招いた」
そして梶が挟む。
「他者の『写し鏡』、他者を真似る存在が不幸って事は、不幸なのはイブの周りって事になるけど?」
「……どの時代も皆、幸せと思い、暮らしていないのでしょう」
和室の國村と廊下に居る梶。間に立つ百音が二人の会話を聴いている。
「確認はした。桜海の『安定の印章』は作り物。身体には幾つかの特殊な場所がある。ひとつが口内。喉に細工がしてあった」
「随分。難しかったと訊いています。
何よりも桜海くんに何ひとつ気付かれてはいけない。
だからこそ彼の自己評価を下げ、何も出来ないと思い込ませてきた」
「それって余計にさ。自分を認めてくれる相手の言いなりになるリスクあるけど?」
「だから、梶さん。貴方とまりかさんが必要だった。家族であるまりかさんと、周りから認められた歳上の地位のある人間」
梶はあからさまに困った顔をして、それから話を次に移す。
「怜莉と一緒に住んでいる相手が現在の『イブの印章の持ち主』かもしれない訳だ?」
「ですね。接触が出来れば一番ですが、未だ何も」
「多分、無理だよ」
國村は壁から背を離して、対角上に立っている梶に視線を向ける。
「怜莉と一緒に居る相手は『秘匿の印章』をフルで使える。でも、あれも作り物かもしれない。
つまりイブにも面倒な協力者が居ると思うよ?」
「怜莉さん」
真っ直ぐにおろした灰色の髪。逆さまなら蟹に見えるウーパールーパーのぬいぐるみを抱えたまま。
キッチンに居る背中に声を掛けるりんね。振り返る怜莉。
「ケータイが鳴ってて」
「え。ちょっと待って」
「ごめんなさい。もう止まっちゃった」
怜莉は置きかけた菜箸の先をそのまま宙に向ける。静かにりんねの顔をみつめる。
初めて会った時よりも幼く見えるけれども、確かに18歳前後にしか見えないりんね。
「ケータイ、持ってきてもらっても良い?」
りんねは慌ててローテーブルにあるケータイを取りに戻り、ソファにぬいぐるみを置く。洗った手を拭いている怜莉に渡すりんね。
「ありがとう」
光るサブディスプレイの[ 夏目千景 ]の表示に首を傾げる。
「職場の別の部署の人なんだけど」
説明しながら、つい不自然にまた、りんねの顔を見てしまう。
「怜莉さん。あのね。私、どうやって帰って来た……のかな」
「覚えてない?」「……うん」
「駅で偶然会って、タクシーを拾ったんだよ? りんね……熱が……あって」
ひらりと自分の掌を額に当てるりんね。
「……夕食。食べられそう?」
そう云って、目が行く先の金属トレイには揚げる前の蟹肉のクロケットが並んでいる。
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