第31話.木曜日創造説


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 春が来て、春が来て、また春が来て、夏が終わり、秋も過ぎ、冬になって誕生日が訪れたのなら。


「三年。待ってほしいの」


 風に薄いブランコの僅かな揺れを抑える怜莉。


「……三年」


「三度目の春には状況が変わると思うの。今の決まりが何もなくなるから。……その年の冬になったら」


 三年という言葉に考え込む怜莉を見て、りんねは急に不安げになり「また間違えたの……かな」と呟く。


「怜莉さんがよそよそしかったのって、私が結婚の話をはぐらかしちゃったみたいになったからで」


「いや、待って。それは確かに……半分合って」


 ブランコの鎖を握ったまま、怜莉を見るりんね。


「私ね。居なくなるつもりだったの」


 目線を宙に戻すりんねの横顔を見る怜莉。


「でも考えたら、怜莉さんは私の職場も知っているし、多分、家も」


「ごめん。怖いよね? 自分でもどうしてこうも必死なんだろうって。正直やっている事がストーカーと同じ」


「そうなの?」


 きょとんとする、りんね。



 治療院の午後。三十分の開いた時間。花は、真屋にパソコンを使わせてほしいと頼む。


「何を調べたいの?」


 キーボードを打てない花の代わりに検索窓に文字を打ち込む真屋。


「……未成年と成年者の違い。法律を知りたくて。二十歳になった時に出来る事を」


「来年、二十歳になるんだったね」


 時々、手伝ってもらいながら、幾つもの検索結果に目を通す花。ふいに手が止まる。


【民法 第753条】【未成年者が婚姻をした時は、これによって成年に達したものとみなす。】
【民法 第731条】【女は、16歳にならなければ、婚姻をすることが出来ない。】


「怜莉さん。三年経ったら、橘になりたい」


 怜莉の名字を口にするりんね。或いは鏡花。


「良いの?」
「駄目?」
「ううん」


 首を振る怜莉。静かで小さな公園のブランコの隣同士に並んだ二人は辺りよりも更に静かになって、りんねの灰色の髪と怜莉の一つに結んだ長い黒髪が急の秋風に吹かれる。やがて二人はブランコを揺らさず留める。


「りんね。ずっと考えている事があって」


 怜莉を向くりんね。


「……うまく云えないんだけど、今まで『普通』に生きて来られなかったせいで沢山の人を傷付けたって自覚があるんだ。


 それで自分なりに何が償いになるのだろうって。いっそ罰でも受けたいって」


「……罰?」


 瞬間。表情を硬くして黙り込む、りんね。


「うん。……でも罰って何だろうって」


「飛行機」と唐突に口を衝く。


「昔ね。親戚のお姉さんから東京に遊びに来てって云われたの。日帰りで、初めて飛行機に乗る予定で、でも行けなくなって」


 りんねは小学四年生の春休み前を思い出しながら、出来事から逆算が生じて勘付かれない様、話を続ける。


「電車もバスも動かなくなって。私も記憶が曖昧で。でも此処から出ようとしたからって思ったの。私は遠くには行けないって。それが『罰』なのかもしれない」


 何気なく抱え込んだままに出来ない問題に、返された答えに戸惑う怜莉。「訊いても良い?」と云う。


「何の罰なの?」「私ね」


「生まれてくる予定じゃなかったの」


 答えるりんねと目を合わせる怜莉。


「母子共に助かるのは難しいって産科でも霊能者みたいな人からも言われたの。

 だけど、おじいちゃんが捜してくれた産科の先生は大丈夫だって。1ヶ月と9日早く産まれちゃったけどね。本当に大丈夫だったの。


 でも代わりに問題が無かった弟が仮死状態で生まれて、結局、そのまま病気で小さいまま死んじゃって」


「ね。りんね。それは」


「おじいちゃんがね。お母さんに謝ったの。一生かけて、責任を持って、私の面倒を見るって」


 りんねはブランコから降りて、右手で鎖を握ったまま「勘違いしたの」と怜莉をまた見つめる。


「一生っておじいちゃんの一生で、私の一生じゃない。私よりも先におじいちゃんが死ぬなんて……びっくりしたの」


 足元の土を蹴って、些細な揺れに任せる怜莉。


「おじいちゃんってどんな人だったの?」


「えっとね。兄弟が沢山居て、貧乏な家だったけど、おじいちゃんのお陰で皆、裕福になって。あとね。手品師だったと思う」


「手品?」


「うん。何があったのかは兄弟皆忘れちゃったらしいけど。狭い部屋で皆、落ち込んでいたら、帰って来たおじいちゃんが手を」


 ぱんっと鳴らすりんね。


「そしたら二匹の鳩が現れて、その鳩が凄く凶暴で突かれるわ追い回されるわ。皆、家中を阿鼻叫喚で逃げ回って」


 状況を想像して、困惑する怜莉の隣で再び、ぱんっと手を叩くりんね。


「また手を叩いたら鳩が消えて『どうだ? 元気になったか?』なんて云うから、皆で抗議したって。でも結局、落ち込んでいたのどうでも良くなって、元気になれたって」


「凄いおじいちゃんだね」と思わず笑いながら、怜莉は思い及ぶ。


「オレがおじいちゃんの生まれ変わりかもしれないって云っていたよね?」と訊く怜莉に「怜莉さんって何かスポーツしてた?」と訊ねるりんね。


「中学の時は部活でバトミントンしてたけど」


 怜莉は革靴の先を土に引いて、反動ごと跳ねを止め、ブランコを降りる。


「おじいちゃんね。子供になったらサッカーかバスケをしたいって云っていたの」


 灰色の髪を風に靡かせるりんね。揃えた両手の先を静かに握る怜莉。


「寒くなって来たね。帰ろう?」


 それから公園を出る時。怜莉はりんねに訊ねる。


「そういえば一週間前。先週の木曜日。りんねは寝る前になんて云っていたの?」


「クルンテープ・プラマハーナコーン・アーモンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤ―・マハーディロックホップ・ノッパラット・ラーチャタニ―ブリローム・ラドムウーチャンウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」


 すらすらと口にするりんねと対照的に唖然とする怜莉。


「猫の王様のおまじないなの」



 翌日の夕時前。山吹の低木を避けて、中央の西側門の前に立つ怜莉。丁度かかって来た電話。


「あ。怜莉さん? 来週月曜日の11時から13時の間に旅館に来てください」


「え? 何? 急に?」


 電話の向こうでは律が立ったまま、パソコンのキーボードを忙しなく操作している。


「行楽弁当の試食を頼んでいたお客様が二人来られなくなったので桜海さんと来てください」


「何で桜海? あと仕事」


「仕事なのは知っています。梶さんは月末忙しいでしょう。


 桜海さんは、この前、初めて怜莉さんから名前訊いたので、個人的な興味です。


 それから二人とも月曜の予定がないのは梶さんに確認しました。ちょっと待って。あ。此方の話です。到着時間が決まったら連絡ください。それじゃ」


「え? 待って。律」


 怜莉は電話の切れたケータイを片手に持って眺めて「何なの……」と云った途端。門の向こうで、ばたっと何かが倒れる小さな音がする。


「え?」


 しゃがみ込んで、ケータイを仕舞い、木の門に低い位置に庭側から触れる怜莉。門を挟んで、5歳前後に見える男の子が、ひとつかふたつ程、下の年齢の女の子を抱き起して「大丈夫!?」と慌てて大声を出す。泣き出しそうで、しかし、どうにか我慢する女の子。


「大丈夫?」


「ごめんなさい! 妹が転けて!」


 どうする事も出来ないまま、様子を窺う怜莉と、妹の手を引いて立ち去ろうとする門の向こうの兄。


「りんね! 行くよ!」


「りんね?」


 陽が沈み始める中でもう誰も居ない西側の門の外。辺りの影が静かに消えていく中。怜莉は西側の門番として覚えてほしいと云われた、太田道灌の和歌よりも先に、ふと、りんねの手を叩く姿を浮かべる。『去る差和の池』の和歌を思い出す。


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