第28話 アイヒマンの花束
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セリと話した昼間。一旦、帰宅して、灰褐色のニットワンピースから白いスタンドカラーのブラウスに黒いジャンバースカートに着替えて、いつも通りの仕事。
帰宅して現在。家に帰って、ルームウェアには着替えない。
りんねは殻を剥いた茹で卵をポリ袋に入れると潰す様に揉み解す。調理台にはマヨネーズと、塩と胡椒の瓶。適度に潰れた所でマヨネーズを足す。セリに教えてもらった卵サラダの作り方。
セリは「他人に期待するな、じゃなくて、期待する相手を間違えるな」とよく云っていた。
怜莉の帰宅を待ち、掛け時計を見るりんね。居間のソファにはルームウェアの兎の抜け殻が掛かかってる。
「どうして、うちに来るのですか」
國村が梶に話し掛ける。職場である『中央』の東の門から出て、5分の帰路。一軒家と小さな個人会社が点在している。
「他に話せる場所ある?」
「此方の話は放っておいて良いので」
「後三年は大丈夫って聞いて、気が抜けたんだろ?」
振り返る國村。西の空には月が無くて、明日は満月になる月が東の低い位置にある。
「戦略を考え直していたのです。結局、思い付きませんでした。貴方は貴方で割り当てた事に専念してください」
「引き受けたからって、ちゃんとやるとおもう? 其れに怜莉は兎も角、桜海はやる気なくしてる様に見えるよ」
「桜海くんはそれで良いんです。父親である代表の教育方針ですから」
立ち止まる國村は「4階です」と云うと鍵を出す。
「怜莉以外は皆、職場の近くなんだよな。オレが南で、國村が東、桜海が北」
「西側の大部分は赤星さんの土地なので」
「あかほし製麺の社長宅だろう? 趣味の悪い豪邸。一度は住んでみたいけどね」
オートロックが解除される。エレベータを降りて、直ぐの黒いドアの鍵を開く國村。照明のスイッチを上下共に押す。白いシャツに前を濃藍色のカーディガンを羽織っている梶。玄関に入ると、入り口側に飾られている絵や三線に目をやる。
「多趣味だね。うちは座卓と布団と本しかないわ」
「塾では勉強以外も教えていますから」
廊下の先のドアを開ける國村。アイランド型のキッチンコンロにある鍋に気付く。蓋を開けるとポトフが入っている。
「……あの人は本当」と溜息を吐く。
「え? 何? 修治、料理も作るの?」
「違います。松田さんの仕業です」
LDKのあちらこちらを眺めていた梶が微妙な顔して、國村を見る。
「百音ちゃん……合鍵を持ってるの?」
「私が色々を持ち出していますから、何かしらあった時は、と思っていたのですが。普通に出入りされている様で」
「……元カレがいつまでも独身だと心配だよな」
「そんな心配しなくて結構です」
國村は諦め顔でグレーのダブルストライプのネクタイを外す。「折角なので食べましょう」と鍋を温める。
「棚の酒は好きに飲んで良いですよ。冷凍庫にもジンとロックアイスがあります。グラスは冷蔵庫」
梶は背面が鏡になった背の低いキャビネットの前にしゃがみ、瓶を取り出すと部屋の中央の黒いテーブルの上に置く。
「元カノと其の旦那と同じ職場って凄い度胸だよな。オレ、絶対、無理」
「此方だって無理ですよ」
冷蔵庫からロックグラスを取り出し、冷凍庫の氷を落とす梶。「修治は何にする?」「ビーフィータとグラスを取って頂けたら」
「松田さんと千景くんが一度、別れていた間。数か月、付き合っていただけです」
きっぱりと云うと國村はテーブルに木製の鍋敷きと温めたポトフの鍋を置く。梶はグラスにそれぞれの酒を注いで、國村の傍に置き、梶も國村も椅子に座る。
「仕事も含めて、お互い、当たり障りのない話しかして来なかったし。今回の『干支の書』が視認出来なくなる方法もきちんとした手順は云わなかったろ?」
深皿に馬鈴薯と人参、玉葱、厚切りベーコン、キャベツをレードルで掬い、フォークと共に渡す國村。梶はロッホナガーのロックを飲むと、フォークで馬鈴薯を崩す。
それから國村が肌身離さず身に着けているワイルドタイムの腕時計に目をやる。文字盤に描かれる小さな蛙。
「大手傘下になる前のデザインは個性的だったらしいな」
ジンのストレートを飲みながら、腕時計を視界に入れる國村。「父の我儘で特別に作ってもらった物です」と抑揚無く答える。
「修学旅行前。初めて父親らしい事をしてくれたと思っていました。無事に帰ってくる様と『蛙』が描かれている。でも実際は違いました」
長い静寂と、其の間、黙々と食事をする梶。グラスを時折、傾ける國村。
「此れは山椒魚の蛙です」
「以前に訊いた時は代表から貰った物だと」
「だから、気が付くのが遅いですよ」
「としたら、桜海とは」
「異母兄弟です」
國村が考え込む梶の前に音を立てず、グラスを置く。
「私? 私は元気だよ?」
ドアが開く音で帰宅した怜莉の元に飛び込んでくるりんね。急な怜莉の問いに慌てて答えを返す。
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