第27話.フォリーニの時間


第24話迄のまとめ


 首を傾げるりんね、の顔をしたままの茉莉。


「此れ、私の話でしたよね?」


「よく分からないけどさ。私はあんたを心配してる側だし」と云ったセリは「どちら側って考えは苦手だけど」と付け加える。


「でも今回は完全にあんた側だからね?」


 云い切ると、ベンチの背に持たれ、レモンティーのペットボトルを傾けて飲む。りんねが『茉莉』と名乗っていた時期に姉の様に接してくれていた存在。


「茉莉は誰かを頼る質じゃないと思ってた。歳のわりにしっかりして……いや、ドアに挟まったりはしてたし」


「こないだは階段を落ちて、頭を打ちました」


「は? 大丈夫なの?」


「病院は行ってないけど、怜莉さんが直してくれて」


「……あんた、ロボットだったの?」


 怜莉が看病してくれた時期を思い出すと、顔が赤くなるりんね。手の中のミルクティーに目が行くと、ハッとして、トートバッグの中を漁る。

 みつけた光沢のある緑の財布には青林檎のイラスト。下には [ It`s a pear. Make no mistake. ] の文字。キッズ用の財布は敢えてチープ感を好む女性が選ぶ風にも見える。


「落ちたのじゃなくて引っ張られた気がして」


「……誰に?」


「おばけ?」


「……事故物件なの?」


「わからないけど、おばけは適度に居た方が良いと思います。


 おばけが居ない世界は……人がおばけになるから。だから、初めからおばけが居てくれる方が良いと思います」


 時折、突拍子もない持論を述べる『茉莉』に今回もセリは首を傾げてしまう。


「でも階段で引っ張るのは危ない」


 呟くりんねは、ベンチの隣に座るセリに、飲み物代を渡そうとし、セリはサーモンピンクの袖を揺らして、引っ込めさせる。


「茉莉はお客さんから物は貰わないし、支援も断るし、私からも一円も借りないし受け取らない。


 それが何で怜莉くんの処には行っちゃったの?」


 上手く云えず、一度、黙り込む『茉莉』と呼ばれたままのりんね。吹きく風と音に抑えない灰色の髪が砂埃の交じる秋空に舞う。


「……週に2回、セリさんと働いていた夜の店が無くなって……生きていたらお金が掛かるし……」


 ゆっくりと考えながら、りんねは話す。


「……環境も状況も含めて自分の居場所は結局、此処だからって云い聞かせて。


 必死に情緒を安定させて……毎日、周囲にも自分にも丁寧に対応しなきゃいけなくて。受け身で生きる世の中の仕組みのに……自分の世話は自分でしなきゃならなくて。


 だからどうやっても、一番下の自分は頑張るしかなくて。でももう」


「ね? どうして、そんなに思い詰める前に私の事を思い出してくれなかったの? って此れ、……ニュースや職場でよく聞く台詞じゃん」


 自分の言葉にツッコミを入れるセリ。


「皆、誰かが死んだ後に云うよね? 親とか親友とか。相談してほしかったって」


 そう云うと、セリはレモンティーのペットボトルの傾きを降ろし、りんねはキョトンとする。


「茉莉が死んでると仮定して」


 古い木製のベンチにコトンとボトルの角が音を立てる。


「あんたはいつ何処で死んだの?」


「……セリさん、私、死んでない」


「だから仮定。私は看護学校の奨学金を返し終えた時。全部、嫌になったの」


「返したのに? どうして?」


「金の切れ目が縁の切れ目」


 りんねは思案顔でトートバッグに財布を戻すと、ミルクティーに口を付ける。右手でペットボトルを持ち、左掌で蓋を遊ばせる。


「……私が死んだとしたら、怜莉さんと偶然、再会した日」


「会わなかったら死ななかったの?」


 頷くりんね。


「助けてって云えるのは亡くなった祖父だけ。正確には祖父の兄……本来の祖父は若い頃に駆け落ちして。長兄が責任を取って、祖母と父の面倒を見て」


 話を区切り、りんねは、怜莉が仮の祖父に似ている事を思い出す。ミルクティーを飲み、気持を改める様に「九万九千七十六円」と呟く。


「来月二万を返して、残りは七万九千七十六円。服に……食事、私が使った光熱費。大体の額で……」


「ちょっと待って。いちいち計算して覚えてるの? 怜莉くんは貸したつもりなの?」


 セリは急に悩んで頭を抱える。


「先月、事件があったでしょう。元カレが浮気の慰謝料を払えって。女の子がおばあちゃんを刺したの。あれさ、二人とも友達に相談してたんだよ? でも誰も問題点を指摘しなかったの。云ってる意味、分かる?」


 訊ねられるりんねは灰褐色のニットのハイネックに少し沈めた顔を、吐く息と同時に上げる。


「あんたが急に居なくなるって云ったら、怜莉くんはどう思うのか考えてるの?」


 ペットボトルの蓋を閉めて、また開けて、想像しようにも出来ないでいる、りんね。ふと、ぽつりと出る独り言を返事にしていく。


「……私は、子供の家出と一緒だって、気が付いて。おままごとだって。だから、いつかは戻らなきゃって。次の給料日ならって……でも」


「何? どうしたの?」


「来月の10日。水族館に行く約束……」


 りんねは云い終えないうちに無意識に涙を落としてしまう。


「……セリさん。怜莉さんずうっと優しかったの。でも……今週、様子がおかしくて。今日は……水曜日?」


「木曜日だよ?」


 セリは静かに泣いている『茉莉』の話を訊き続ける。


「あんた、本当に出ていきたいの? 怜莉くんが好きなんでしょう?」


「……私が怜莉さんを好きでも、怜莉さんが好きなのは『りんね』って架空の……」


「『りんね』って名乗ってるの? まあ。あんたが実は16歳とかなら話はややこしいというか、今も未成年だし、親が騒げば誘拐になる訳で」


「……誘拐? 18歳なのに? 自分で着いていったのに?」


 驚いた泣き顔を向けるりんねは、本当は『りんね』でもなければ『茉莉』でも無く、『水野花』でも無い。こうして話しているセリもまた目の前の人物を誰かは知らない。


「ね。茉莉。やっぱりさ。あんた、しっかりしてるけど、知らない事も想像出来ない事も沢山あるよね? 私も自分の知識と経験であんたに語っているだけだから『其れは違う』『勘違いされてる』って思ったらさ。後からでも、幾らでもいつでもさ。

『私はこういう子です』って教えに来てよ」


 セリの言葉に何度も頷きつつ、目元を擦るりんね。


「…今度は私から電話します」


 答えるりんねは涙を抑える様に未だ目元を擦っている。


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