第26話.ジョハリの窓


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「西の門は鍵を使えば開きます。来られては困る者が居る故、閉めてある」


「誰が訪ねて来るんですか?」 


「通称『イブ』です」


 事務所の机に一人突っ伏す。閉鎖された西の門番を任された際。國村から云われた言葉を思い返す怜莉。


「西側の門番には覚えてもらいたい和歌がある。太田道灌。尋ね人に帰ってもらう為の言葉」


「寝てる!」とドアを開けて入って来た桜海が声を出す。
「起きてる。桜海こそ日曜日なのに?」顔を上げて訊ねる怜莉。


「金曜に松田さんが祖父母の家に行ってくれて、応接室で報告受けてたの」
「実家に戻ってこいって云われなかった?」
「んー。わかんない」


「オレさ」


 両腕を机に載せたまま、真っ直ぐ前を向いたまま怜莉は云う。


「オレ、何の脈略もなく、彼女に『結婚しよう』って云った」


 ドアの前で立ったまま、口を半開きにする桜海。


「怜莉はやっぱり馬鹿なの?」


 つい、今も事務所の窓向こう。庭に目が行く度、代表が亡くなった日を思い出す。



 東の門を國村が閉めて、北の門を桜海が閉めて、西の門を怜莉が閉めて、唯一、外側から南の門を梶が閉める。


 梶が閉め終えると共に、禁書である『干支の書』と『干支の書に関する物』は現在から消える。


 正しくは現在より六十年間、『視認』の出来ない場所に移る。


 しかし同時に時間と空間の決まりの外が発生し、内側の門兵は理に耐えらずに此の世から消える。


 國村は、生前、代表から告げられていた『閉鎖の儀』を淡々と伝える。


 直ぐに桜海は「ふざけているの!?」と大声で返した。


 暫くして梶が「妙見菩薩か」と呟く。


「外に居る南の門兵は?」
「何も起きません」
「なんでオレなの?」


「梶さんが次の代表だからです」


 桜海は黙って、梶を見上げて、それから静かに考え事をしている風な怜莉に視線を流す。「怜莉」


「無茶苦茶な話されてるけど……梶さんだけ残して死んじゃうって……怜莉?」


 呼び掛けられて、怜莉はやっと桜海の顔を見る。梶は怜莉の背後に一瞬だけ薄く浮いた白い円状の霞が消えていく様を見落とさず。


「……西の門は封鎖されていますよね?」


 國村に問う怜莉。


「……怜莉は馬鹿なの!?」と叫ぶ桜海。


「え? 何で?」


「状況分かっているの? 怜莉も死んじゃうって云われているの! オレは良いけど! 怜莉は彼女どうするの!」


 梶は騒いでいる桜海を宥めると、三人より少し離れて立つ國村と話始める。


「修治、代表に眼球が無いの関係あるの?」


「眼球は『中央』にあります。遠方での療養であろうと生きているなら『中央の眼』は使えました。梶さん、代表の晩年は『目』です」


「だとしたら、オレの見立てだと、後三年ある」


「『未来視』ですか」


「代表の目が『開かずの間』を確認していて、もう出来ないとしても。まりかちゃんは後三年は『中央』を守ってくれている」


「……三年」


 梶の言葉を耳にする桜海は本殿の二階を振り返って眺める。


「修治は『於菟』を捜すとして、其れまでオレ達に出来る事は?」


 訊ねる梶に國村は「梶さん」と聞き取れない程に音を下げた声を出す。


「『亥の巻』はレシピ集です。他に解読が出来るとしたら、あなたになるのでしょう。しかし」



「世界の命運は梶さんに託されている」


 窓際の椅子を引いて座り、頬杖を突いて、明るく光の入る窓の外を見る法衣だけを着た桜海。


「世界規模は大袈裟なんじゃ?」


 黒いポニーテールを揺らして、デスクチェアの背凭れで伸びをするチャコールグレーのスーツ姿の怜莉。机の上には『卯の巻』の原本と、『辰の巻』の写本。A5サイズの表紙が水色のノーブルノート。クロスのシャーペンが置いてある。


「ずっと勉強してるの?」「うん。今日は『辰の巻』の写本を借りに来た」


 椅子のキャスターを回して、桜海は怜莉と話を続ける。


「梶さんが基礎を飛ばして応用? を勉強する様なものらしいし? だから怜莉は下から順に勉強して梶さんの補佐? みたいな感じになるんでしょ? 


僕はまりかちゃんに出来るだけ話し掛けてって。……云われなくても……するし」


「桜海?」


「……何も協力させてもらえない。仕方がないかな。子、丑、寅。干支の書は勉強しても、よくわからなかったし。


 此処から出ても、ただの中卒だし。でもさ。怜莉は、結婚したいくらい好きな相手が『中央』の外にいるんでしょ?」


 声をワントーン下げる怜莉。


「ね。桜海。……桜海が云う様に此処を辞めれば、彼女と普通に幸せに暮らせるのかもしれない。


 だけど此処を辞めるのも怖くて、彼女だって普通じゃなくて。今日だって以前の職場の先輩とに会うって……確かめようもなくて」


 机の上に雪崩れる様に突っ伏す怜莉に慌てて桜海が立ち上がる。


「怜莉! ちょっと! 重症!」


「『中央』を辞めたらオレが『普通じゃなった』事を知っている人は誰も居なくなる。


 『普通』に接して来られて、『勝手に心の声を聴いていた人間』だって知られないまま『普通』に接して貰えて。


……どうして『罪』に釣り合う『罰』を誰も与えてくれないんだろう」


 泣いている様な怜莉の長い髪に微かに触れる桜海。


「國村先生が西の門から『イブ』が尋ねてきたら帰ってもらう様に云っていたけど、


受け入れたらどうなるのだろう。酷い目に遭って、其れが十分な『罰』になってくれたらって」


「正直さ。色々、唐突過ぎて『イブ』って何かもわからないし。何で怜莉にだけ頼んだのかも、よくわからないし」


 桜海の背後に、単円だけの『安定』の印章が現れる。


「怜莉にとって『曝露』の印章を使うのは『罪』なんだね? 自分を『罪人』って思っているんだね?」


「……其れに彼女が『秘匿』の印章を持ってて……」 


「『秘匿』かあ。ノーマルタイプで何処にでも居るし、数も多いし、芸能人にも多いし。[ 其の場しのぎ ]を華やかな方向に使える子だと特に魅力的だから、うん。まあ。気持、振り回されちゃうよね?」


 それから桜海は青緑の柔らかい揺らぎを放つ『安定』の印章の影響を指の先から怜莉に向ける。桜海もまた、まりかの居なくなった日を思い出す。


 朝、起きて。
 いつもなら昼過ぎまで寝ているまりかが居ない部屋を覗いて。
 和室の部屋の布団を畳んで、カーテンを開けて、ローテーブルに載った小さな箱をみつける。


 [ 桜海くん 誕生日おめでとう。 いままでありがとう。ごめんなさい。 ]



 裏通りの住宅街の狭い壁と壁の隙間を抜けるりんね。
 途端に緑豊かな拓けた場所に出る。


「……迷子」


「違う! こっち!」


「セリさん」


 手水舎の傍の木造の屋根のある休憩所。セリは木のベンチに座り、ミルクティーとレモンティーのペットボトルを傍らに置いている。


 灰褐色のニットのセットアップと『茉莉』の顔を見ながら、セリは「雰囲気、変わったね」と云う。急に立ち止まる『茉莉』の様子に「昼は、そんな感じなんだ」と言い直す。


「あ、はい」


「私も昼はこんな感じ。サーモンピンクとかマスタードとか。三十路過ぎなのに26歳とか言って、スナックで働いていたの信じられないよね。で、どっち飲む?」


 ミルクティーを受け取り、お礼を云うと、りんねの顔で茉莉と呼ばれたままにする。重いキャンバス地のトートバッグをベンチに置く。


「しかし驚いた。あんたが男の所に転がり込むとは」


「……私も驚いて……います」


 隣に並んで座ると少し澄ました顔を、口元だけを緩ませ、茉莉はペットボトルの蓋を回す。


「大丈夫です。予定通り居なくなります」


「いや、あんたの予定知らないんだけど?」


 神社の樹々の葉は、真っ直ぐに抜ける風で一斉を流す様な音に鳴る。 


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