第53話.返報性の原理
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搭乗待合室で一人、胸懐をリピートする國村。
「於菟は身体を使い終えては、手に入れた新しい身体に膨大な情報を引継ぐ。
梶さん。貴方が此の仮説を話してくれた時、正直、嬉しかった。主流の考えは、いつの時代も『誰かしらが於菟を名乗ってきた』でした」
「……わかりやすく残念そうな顔をするなって」
「私が捜していたのは13番目の印章を作った『始まり』の於菟。若しくは、始まりの於菟と同一の者。居るのかも分からない存在。
しかし現状を伝え、収拾を願う者としては『全てを知っている於菟』であってほしい」
「別に自分の説を否定する気はないよ」
梶の言葉に國村は顔を上げる。
「修治が集めてくれた資料の中に於菟の転生に触れている物があった。出来ない事はない、とも。
実際、自分で於菟を名乗ってみて、自分は於菟とは違う。考え方は今のままだって思った。
だから他に11人居て、12種の印章が揃いでもしないとバランスが取れない。それでも元来の於菟にはなれない」
「元来の於菟はどうなったのか……知りたいのです」
「少なくとも今までの中央の登録者には居ない。
そして代表が自室金庫に保管していた『亥の巻』に書き足されていた『好奇心が猫を殺した』の箇所。あの書物に鉛筆、ボールペン、水性ペン、油性ペン、色々試し書きしたけど全部弾かれた」
「……貴方、何しているんですか」
「於菟の筆跡が平安時代から一緒なのって、もしかしたらフォントじゃないかと思ったんだよ。
つまり『亥の巻』あるいは干支の書に何処らしからアクセスして、入力した。今回のメッセージもトラブルが起きたと伝えるにも見える。でもさ」
梶は僅かに楽しそうな笑みを浮かべて、息を吐く。
「諦めるかな。於菟の正体は日本そのものって云ったろ? オレは於菟を名乗り、本を持ち出したのは侵略と略奪に当たると思うよ?」

(本当にもう。皆、危機感ないし。千景もやる気あるのかないのか分からないし)
ノックしたドアを松田が開くと、バーンと大きな音が部屋中に響く。
怜莉が両掌でデスクを叩きつけ、立ち上がったまま俯いている。キャスター付きの椅子が弾みで後方に下がって、揺れている。
「(え?) 怜莉くん!?」
「出て行ってもらえますか?」
(え? 何かあったの? もしかして千景が何か云)
「千景は関係なくて……松田さんの……考えている声が聴こえて……」
「え?」
硬直した後、松田は事務室から出るとぱたりとドアを閉める。
「怜莉くん!? どう? これなら大丈夫!?」
ドア越しに大声で話し掛ける松田。肘に掛けているミーティングバッグの中でケータイが振動し、事務室の奥では怜莉がケータイを開いて、呼び出し画面をみつめている。松田は怜莉からの着信に気が付いて、受話ボタンを押す。
「もう少し離れて貰えますか?」
「ま、待ってね」
長い廊下の様子を眺めながら、応接間を過ぎて、東側玄関前まで離れる。
「東側の入り口だけど、大丈夫そう?」
「すみません。其処なら大丈夫です」
「どうしたの? 何があったの?」
「松田さんの用は?」
「今年度残りのスケジュール調整。急いでないから」
「そうですか」
事務室内。ケータイを耳に当てたまま、立って話す怜莉。デスクに置いた指の先には空のマグカップが転がる。
「中央と東睡の登録者、通われている方の状況、分かりますか?」
黒いハイネックのトップスに白いクロップドパンツの松田は壁に寄りかかって荷物と共に腰を下ろす。玄関土間の前、目の前には松田のパンプスが揃えて置いてある。
「中央は平日夕方以降、週1で来ている人が3人。時々、朝から来ている人が1人。登録者には前日迄に連絡を貰ってる。今日は誰も来ないよ? 東睡は、朝から熒惑の間に6人来てる」
真後ろの椅子の背凭れを掴み、動かす怜莉。座り、デスクに両肘を突く。
「怜莉くん、『曝露』の影響力、制御出来なくなったの?」
「今朝のバスでも、千景と寄った洋菓子店でも大丈夫だったんです。南門で千景に車で送ってもらった後、暫くして」
「やっぱり千景が何か云ったんじゃ?」
「いえ。実は昨日も……少しおかしかったみたいで」
電話越しに黙り込む二人。
「ね? 怜莉くん、今、彼女と一緒に……住んでるんだよね?」
「……いえ」
デスクの上で目元を掌で抑える怜莉。
「ずっと分からなくて……都合が良過ぎるんです。自信を無くしている時に、困っている女の子が現れて、歳も近くて、相手も自分を必要としてくれる場面が幾つもあって、一緒に居て楽しくて……好きになるには十分なのに……」
間を置いて、怜莉が一言添える。
「何も分からないんです。彼女が何処の誰か、本当の名前も顔も知らないんです」
「……其れって、相手の『秘匿』の影響力で年齢とか……分からないって事だよね?」
松田からは見えないとしても頷く怜莉。
「……性別も」
「………性別? そっか。そういう事もあるよね」
松田はケータイをあてる耳と反対の耳に横髪を掛けようとするが上手くいかない。
「怜莉くん、あのさ。うち、娘が『誘発』の影響力を持っているでしょう? やっぱり、いくら娘でも疲れちゃう時あるの。そういう時、私は泊りがけの出張入れちゃう。
で、提案なんだけどさ、暫く、其の子、うちで預かるのって、どうだろう? 怜莉くん、凄く疲れる気がするよ」
「千景の提案ですか?」
「私が思い付いたの。実はさっき、其の子と千景が西側の道で偶然会ったみたいで。大通り迄案内してきたんだって」
「……西側? 此処の建物の西側ですか」
「図書館の裏、一本間違えて工場社宅の敷地内、突っ切って進んじゃうと西の道に出ちゃうんだよね。」
「……そうですか。すみません。『曝露』の影響力は何とかします」
ケータイを切る怜莉と、切られたケータイを閉じて膝に置く松田。ストラップの鈴と土間の先の引き戸が風に押されて、音を立てる。冷えた床の上で髪を耳に掛け直すとルビーのピアスが鈍く光る。
事務室では怜莉が窓側のデスクに置かれたジャックオランタンに貼ってある付箋に気が付く。立ち上がり、書かれた文字を読む。
[ 怜莉と彼女の! 忘れずに持って帰ってね! 桜海 ]
急に気が抜けて、曖昧に微笑む怜莉。
「……ハロウィン? ハロウィンって何の日?」と問い掛けてきた、りんねの不思議そうな顔を思い出す。
説明すると「……知らなかった。波浪警報と関係なかった」と恥ずかしそうにルームウェアのうさ耳がついたフードを被る。
「じゃあ、これはハロウィンの時に一緒に食べようね?」とセリから貰った、魔女が描かれたチョコレートのギフトボックスを怜莉に差し出す。
「大丈夫」
怜莉は呟くと、壁際、電気ケトルとペットボトルの水が置かれたキャビネットを振り返る。今朝寄った洋菓子店の紙袋。中にはりんねの為に用意したお菓子が入っている。
現状の中、多くの出来事を思い出す怜莉。
高校を卒業して、中央に勤めると決めた後。時間を作って、一緒にスーツを見に行ってくれた律。
15歳の夏。梶と初めて会った日。
世の中の皆に影響力があって、一定基準の上下からはみ出した者の影響力は強くなり、背に見えない円が現れる。円は、特徴から十二種類に分けられ、それぞれ名前が付けられて、怜莉は自分が『曝露』の影響力を持っていると教えられた。
人の心の声が聴こえる事が『普通』ではないと知った日から伸ばしたままの長い黒髪。
いざ、中央に就職しても暫くは本殿に入れてもらえず、梶が周囲と交渉している間。代表の秘書である松田が、敷地内の『東睡』という塾を兼ねた別施設での研修期間を設けてくれた。一年間、國村の元で影響力についての勉強をしながら、塾の手伝いもした。
「前髪と毛先は切った方が良いよ」と松田が前髪を作り、怜莉の後ろ髪をポニーテールになる位置で結ぶ。
二階に行かない事を条件に正式に所属が決まった日の夜。律は散髪用の鋏をプレゼントしてくれた。
あの時よりも髪は、ずっと伸びて、毛先には一度も鋏を入れていない。
「単刀直入に訊きます。怜莉さん。彼女の正体が狐でも狸でも、幼女でも老婆でも、女でも男でも」
昨日、律が問いかけた言葉が頭に響く。怜莉に心中を聴かれている事を知った上で、友達になってくれた律。
「ね。律」と律の言葉に今更応じる様に呼び掛ける怜莉。
「逆なんだよ? オレが心の声が聴こえるって知られたら、無理って思われるのはいつもオレの方なんだよ?」
続きに再び呼び掛ける怜莉。
「……ごめん。律。大丈夫だよ。思った以上にオレ、自分の事しか考えていないんだ。いつも自分勝手だよ」
事務室の窓の外には一匹の白い猫が座っている。
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