第54話.テセウスの船
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坂の途中に桜海の赤い車が止まる。白い高い塀。引き戸の門扉。玄関チャイムを押すと返事は無く、ガレージシャッターの右側が自動で上がる。
「……停めて良いのかな」
桜海は車に戻り、薄明るく広い車庫内に入ると一番手前の枠に綺麗に収める。
「高級車ばっかり」
エンジンを切って車から降りる。他に6台の車。隣の白いイタリア車に目が留まる。
「クアトロポルテ……って、え!? 何で梶さんの車!?」
薄明るい車庫に外の光が射し入り、奥のドアが開くと、緑豊かな樹々が見える。
「待ってた」
微笑みかける年老いたシスターと目が合う。

修道服を着た穏やかそうな顔立ちと物腰の女性に案内されて、森の中を進む。緩い坂道には白い石畳が敷き詰められている。
「手紙、此処の住所しか書いてないって訊かなかった?」
「訊いたけど、受け取りたくて」
「お父さんには手を合わせてきた?」
老女の顔を見上げた桜海は直ぐに下を向き、小さく頷く。
「忙しい時間に行っちゃったし、普通のお寺だし……普段着で行けば良かった。オレ、袈裟着けてるけど、コスプレみたいな物だから」
「あら。だったら私の修道服もコスプレよ?」
「え? ええー!?」
登ってきた坂から見える左下の拓けた土地。一軒の大きな青い屋根の平屋。
「あっちが普段住んでるおうち?」
訊ねて、考えてから話す桜海。
「此処の住所、登録者データで見たことある。担当は梶さん?」
「記憶力良いのね。そう。主人が岐佐 浅雨。私が糸施。主人は家に居るけど、大体、皆、集まってくれた」
「あ。えっと、糸施さんも代表の遠縁? 親戚? 何も知らなくて」
「朝、桜海くんが行ってきたお寺はね。私もよく知らないの。何かあれば貴方に渡して欲しいって手紙を預かってもらったの」
慣れた調子で長い坂を上がり切る糸施。遅れて着いて行く桜海。
「私の兄の友人さんに壱さんって男友達が居たの。兄と二人でよく『於菟』の話をしていた」
「於菟!?」
「私達が子供の頃、住んでいた地域ね。於菟が世話してくれた人に教えた手品が残っていたの」
「……手品?」
「ええ。何も無い所から鳩が飛び出して、兄と壱さんは種や仕掛けを捜してた」
微笑む糸施を見上げる桜海。低い山の中腹。丁寧に手入れされた日本家屋が見える。
「戦争が始まって、召集された壱さんは、私の兄に『弟妹を頼む』とお願いしたの。
兄は、戦後に産まれた壱さんの末弟を引き取り、病身の身で面倒を看た。其の子が貴方のお父さん」
「じゃあ、糸施さんのお兄さんが、代表を育てたの?」
「桜海くん。お父さんの事、代表って呼ぶのね?」

こじんまりとした建物に着くと、玄関の戸を引く。土間には沢山の履物。声がする右奥の部屋を案内され、桜海はぎょっとする。
真ん中に寄せた複数の座卓の上に幾つもの料理、瓶ビールが幾つも置かれ、雑談が交わされている。各々の手元には料理の載った皿と、ビールが注がれたグラス。
糸施と桜海が部屋に入ると、ぴたりと静かになる。桜海は入り口側の死角に居る梶に気が付く。
「え? 何これ? どういう事?」
「何で桜海も居るの?」
梶は片手を後ろにつき、グラスを傾ける。壁のハンガーにはスーツのジャケットとネクタイが掛けてある。
「梶さんこそ、國村さんの見送りに行ったんじゃ!?」
「朝はね。もう12時過ぎ」
困った風に桜海を見る梶と、糸施に促されるも、入り口手前に座る桜海。糸施も傍らのカーペットに腰を下ろす。
「今日は皆にも時間を作ってもらったの」
「えっと? 状況が分かってない」
「そうね。話途中だったものね」
桜海はぎこちなく頷く。
「終戦後、数年して、兄の友人の壱さんが戻って来たの」
桜海と糸施の静かなやりとりが他の人には聞こえるのか分からない距離。桜海が見知らぬ7名は飲食をしながら、自由に会話を続けている。梶は自分のグラスにジンジャエールを継ぎ足す。
「私は、貴方のお父さんをオサムちゃんって呼んでるの。兄は修復の修、壱さんは治療の治が良いと云うから両方で、修治にする案もあったみたい。それを訊いたオサムちゃんは自分の子に名付けたいって」
桜海はハッと気が付いて、何かしら発そうとしては上手くいかない。やっとの事で、斜め前に座る梶にぽつりと訊ねる。
「梶さん、國村さんの名前って」
傾けていた瓶をテーブルに戻す梶。
「國村 修治。修復の修と治療の治」
振り向く梶を見る桜海。
「修治も代表の息子だってさ。桜海とは異母兄弟だよ」
「何で!? 何で黙っていたの!?」
「オレも最近、本人から訊いたばかり」
無意識に泣きそうになる桜海。隣に居る糸施が音もなく、桜海を傍に引き寄せる。柔らかく包み込み、それから、ぎゅっと強く抱き締める。
「昔、子供が一人出入りしていた。中央ではなく、東睡の建物。管理系統も違うし、事情はわからん」
取り皿から里芋の煮物を持ち上げる誰かしらが話し掛ける。
「私は東睡に居ましたけど、手伝いの女性の子だと聞いていました」
「國村さんは梶さんと同じ33歳でしたね。25年程前なら私も見掛けていたと思います」
梶は暫く考えて「修治の母親は内縁だったらしいよ」と桜海に伝える。
「代表88歳って云ってたけど、本当は戦後直ぐの生まれなら60歳位でしょ?」
誰の言葉に何を云うべきか迷い、視界が滲み、細い指輪が代わりの様に目元で光る。その度に桜海の法衣の袖は揺れる。
「大丈夫。此処に居る人達は、梶さんを頼って、私がやりとりしてきた人達なの。
訊いて回って『中央』の代表はオサムちゃんだって確信出来たの」
糸施は桜海の姿勢と、縒れた服を正しながら、ゆっくりと語る。
「修治くんのお母さんや、貴方のお母さんと会う、ずっとずっと前の話。
貴方のお父さんは18歳で最初の結婚をしたの。式の数日前に初めて話した相手。一年経たずに上手くいかなくなった」
気持を整える様にしっかりと頷く桜海。
「私の兄の所に逃げてしまった間。兄姉の住む山口や佐賀でオサムちゃん、悪い噂を流されてね。相手の言い分を鵜吞みにした双方の家族は怒ったみたい。
事情を伝えようとしたけれど、壱さんとも兄姉の誰とも連絡がつかなかった」
桜海は頷いて、必死に耳を傾ける。
「長兄である壱さんが『末弟のオサムちゃんの代わり』に奥さんと子の面倒を看る。そう話つけたって何処かで訊いた。
それから壱さんは、身内や親族ごと世間と縁切りをしたみたい」
「糸施さん……代表の子供ってもう一人居るの?」
首を横に振る糸施。
「結婚半年後に産まれた子だったの」
「……托卵されたって事!? ショックで逃げてきたの? 其の後は?」
「椿瑠さんが連れて行ったんだよ」
狼の着ぐるみパジャマを着た20代後半の女性が急に高い声で云う。フードを脱いで、ハーフアップにしたミディアムロングの髪を片手で整える。
「私、ミドリって云うの。美しい鳥って書いて、美鳥」
海老フライの尻尾を口に入れるとビールで一気に流し込み、グラスを空にする。皿の横。使われていないグラスにビールを注いで、持ったまま立ち上がると、桜海の傍らにしゃがむ。
「はい」
「え?」
美鳥は桜海にグラスを差し出す。桜海は押し付ける勢いに、慌て戸惑いながらもビールを受け取り、溢れそうになる泡に口を付ける。
「『中央』って組織を作ったのも四代目のツルさんだよ」
「桜海。車で来たんじゃないの?」
「あ」
梶に問われて、グラスを下ろす桜海。目の前の糸施、女性、斜め前の梶、それから離れて座る6名の顔を見渡す。
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