第8楽章.六次の隔たり


「それで用件はどちらかな?」


 真屋に声を掛けられて、はっと顔を上げる。


「スーツのピンバッジ、『中央』の職員って事で良いんだよね」


 怜莉のスーツのフラワーホールには、虎の顔が彫られた金のピンバッジが留めてある。虎の上には肆という数字が見える。


「中央、を知ってらっしゃるんですか?」


「昨年末に独立してね。以前の勤め先で色々あって」
「……あの、先程の女性二人に『花ちゃんの彼氏』って云われたのですが」


 怜莉は車二台分が去って広い駐車スペースを振り返る。


「此処で手伝ってもらってる女の子だね。僕は、君が彼氏で、迎えに来たのかなって思ったんだけど」


 真屋は玄関を出て、戸惑う怜莉と目を合わせる。紺色のスクラブを着、真屋は鼻緒のあるサンダルを履いている。


「あの髪の毛が灰色で、肩甲骨辺りまで伸ばしていて」
「そうそう」
「花ちゃんって呼ばれてるんですか?」


 怜莉に「中で話そうか」と真屋は促し「一時間程、時間が空いたから」と付け足す。一寸、迷うも怜莉は遠慮がちながらも案内にする真屋の後を着いていく。


「お邪魔します」


 治療院の中に入ると、木製のモダンなデザインの引き戸を中から閉める怜莉。




 応接室の上座にしかないソファに座る怜莉の元に真屋が珈琲を運んでくる。


「ありがとうございます」

「見ての通り、此処で治療院をしている真屋と云います」


「橘 怜莉です」


 真屋の名刺を両手で受け取ると、怜莉は内ポケットから名刺ケースを出し、上に載せてテーブルに置く。



「すみません。ケースはあるのですが、名刺自体を持てなくて」


「『中央』の職員は名刺を持てない決まりらしいね。其れで、今日は花ちゃんの事を訊きに来たのかな」


 真屋は応接テーブルを挟み、怜莉と向き合った位置で正座をしている。


「あ。畏まった話じゃないので、足は自由に崩してください」


 怜莉は楽な姿勢を勧めた後、自身は暫し黙り込んでしまう。


「彼女、体調崩したんですか?」


 思い切って訊ねる怜莉に即答する真屋。


「最近、調子は良くなさそうだったけど、今日は来た時からずっとね。


 確認しておきたいんだけど、中央と花ちゃんは何らかの関係があって、其れで、橘くんは話を訊きに来たのかな。それとも?」


「中央は関係ありません。個人的に訊きたい事があって」
「其れだったら何も話せないね」 


「え」


 真屋は片足を立て、両指を組むと足首を包む様に抑える。


「彼女は僕の手伝いをする為に情報を渡している。目的外の使用はするべきではないと思うけど?」


「……そうですね」 


 下を向く怜莉に「例えば」と真屋が話し掛ける。


「何を訊こうと思っていたの?」


「……何を……上手く云えないのですが、何があったのだろうと思っても……『何でもない』って返されたら、『会話』は終わりになってしまうんです。


 でも其れが『普通』の事なら仕方がないって。


 だけど……今の状態の自分にも出来る事がある筈って、いつも考えてしまって」


 あからさまに迷いが出て落ちていた声のトーンが戻る怜莉。


「メサイアコンプレックスを起こしている自覚はあるんです」


 正面を向いて、はっきりと告げる怜莉と、やはり即座に返答を返す真屋。


「メサイアコンプレックスって、自分の不幸を捏ねて生まれてくる心理でしょう。自分は価値がある人間だから他人を助けてあげようって思い込む」


 再び俯くけれども、怜莉の口元は微かに綻び、話し方は穏やかで、故に却って諦念として響く。


「……価値はもうないと思っています。もしかしたら、単純に昔の自分に嫉妬しているのかもしれません。……昔の自分には出来る事も多かったのにって。


 だけど、りんねには昔の自分でも何も出来ないのだろうって」


「本当に仕事と関係なく訪ねてきたんだね」と真屋に云われて、怜莉は無意識に『りんね』と云ってしまった事に気が付く。


「昔、僕が働いていた小さな治療院。院長の死後、遺産として受け取った息子が『中央』の関連施設を名乗って、事業拡大したんだ。そしたら中央の職員が訪ねてきてね。今から一年半前の話だね」


 遠くを見る真屋の目を追う怜莉。


「院長は高齢で、師事した僕と二人で二十年程、細々と切り盛りしていた本当に小さな治療院。院長の机の引き出しには、三本の線が顔に描かれた虎の水墨画があった。大事そうに時々、見せてくれた」


「……線が三本なら、中央では4度の登録をされていたのですね」


 ふと、テーブルの上にある口を付けていない珈琲に目をやる怜莉。


「らしいね。1度目の登録は一年間必死に勉強させられる。後の登録後は適当で構わない。それでも真面目に四年間勉強して分かったのは……何故学ぼうとする程、虎に線を引かれるのか。其の程度だと言われたよ」


「治療院を継いだのは他業種経営をさの御子息でしたよね。報告書しか見てないのですが、以前は居た先生は独立されたと訊いています。確か、真屋……現保(ありやす)先生」


 手前の名刺に一瞬、視線をやる怜莉。


「直ぐに読めない名前だよね」


 真屋は足首の前で組んでいた両手を支えに真っ直ぐに背を伸ばす。


「二人目が産まれて、住む家を考えていたタイミングでの騒動だったから、自宅兼治療院を建てたんだよ。県外に出たから、お客さんが付いてきてくれるか不安だった。でも有難い事に忙しくなって。


 そしたら、花ちゃんから『表に貼ってある求人を見た』って声を掛けられて」


 真屋の会話慣れの余裕さとは、対象的に初対面の相手に不躾さが出てしまった怜莉。今更ながら、怜莉は深々と頭を下げる。


「……不注意でした。せめてバッジは外してくるべきでした」


 改まる怜莉に温厚な対応する真屋。


「昔、院長に云われていたんだ。僧侶でもない僕に『中央』という特殊な寺を教える。此れが縁が続くという事だ、と。

 だから、橘さんが来たのも、出していない求人を見て、花ちゃんが訪ねてきたのも」


「え? 求人自体していなかったのですか?」


「驚く事じゃないよ」


 怜莉は、穏やかに答える真屋の背後に『印章』が浮かんでいる状相を確認する。


「珈琲、花ちゃんが淹れていった物だから、折角なら飲んでいったらどうかな。彼女が一番美味しいって云っているデカフェ」


 反応を示す怜莉。


「……頂きます」


「カメリアコンプレックスだとしても立ち入り過ぎだよね?」


 カップを持ち上げる怜莉の手が止まる。


「今日、此処に来たって彼女に伝えるべきだと思うよ」


 それからの帰り支度をして、真屋が応接室を出た後、怜莉はソファの足元に転がっているネームプレートを見つける。


 [ 水野 花 ]


 怜莉は名前の面を伏せた格好でソファの座面の隅に置く。



 コンクリートブロックで四角い囲いを作ったスペースに落ち葉と枯れ木を積んだ焚火。風上に作務衣姿の梶が座り込む。


「何してんの?」


「見ての通りです」


「説明が雑だね」 



 竹箒を持った國村が梶を見下ろす。


「あまり近付くと燃えますよ?」


「桜海に薩摩芋を買ってきてもらおう」
「桜海くんに? 怜莉くんじゃなくて?」
「桜海から『怜莉、仕事サボって帰った』って」
「桜海くんじゃなくて? 怜莉くんが?」


「そう。怜莉」


「まあ……桜海くんは間の説明がないだけで、結論としては合っていますし」


 ワイシャツにカーキ色のコットンパーカーを羽織った國村は梶と一緒に黙ってしまう。


「怜莉の話なんだけど」 


 パチパチと音がして、枯れ枝の中で薄く揺れる火を見る梶。


「他人の心の声が聴こえない、って状態にするのは思ったよりは難しくなかったんだよ。

 『曝露』の印章の使い方を他人の印章を見る方向に使わせたからさ」


「要は視えてるのではなくて、印章を持ってるか持っていないか、持っているなら何の印章を持っているか。

 空間に『曝露』させているだけですからね」


「問題はその後。相手の表情や動作から何かを察する事が殆ど出来なかった。

 此れまでなら必要なかったから仕方がない。じゃなくて、あれじゃ危なかった訳」


「私から云わせると『印章』を持っている人間は、関係者も一般人ももれなく鈍感です」


「修治から見たら、オレも鈍感な訳?」


「相当」


 竹箒を地面に置いて、國村は梶の隣に座り込み、焚火の外に出ている枯れ枝で落ち葉を混ぜ、中に空気を入れる。

 一瞬、膨らむ火を梶は器用に避けて「だったら修治も鈍感じゃん?」と問い掛ける。


 國村は立ち上がりながら「だから此処で温和しく働いているでしょう」と答える。


「そもそも『印章』の持ち主当人に『印章』を告知するべきかは難しい課題で、そもそも相手に告知出来るレベルで、はっきり視える人間は少ない。


 当て推量なのに、警察が告知してしまった形になって……怜莉は傷付いているんだよ?」



「怜莉くんは気付かない方が良かったって、梶さん、しょっちゅう云っていますよね」


「違和感は慣れで分かるんだよ。

 事情が事情なだけに、警察も協力を申し出てくれて『こういう人を此の辺りで捜している』って情報をくれたら、犯人逮捕の協力で感謝もされる。

 でも考えたら、怜莉は幼少期から悪い事をする相手の事情も聴こえていたからさ。……根からの正義の味方にはなれないんだよ?」


「私の様に『中央』に籠るしかないでしょうね」


「其の『中央』に関わる人達にも嫌われているのもさ?」


「嫌われているのは皆一緒ですよ。梶さんは自分を嫌う人達に無頓着ですし、

桜海くんは追い出してしまうし、

私は気に掛けてくれた人とだけ付き合います」


 梶は黒い煙を燻ぶらせる焚火を見て「確かにオレも鈍感だわ」と云う。


「落ち葉掃除、手伝う? このままじゃ火が消えるよ」


「梶さん! 國村さん!」


 裏庭に入ってきた桜海が大きな声で呼びかける。


「仕事してきた」


「お疲れ様です」「お疲れ様」


「今日は『家に行くのと、帰って父に泣きつくの、どちらが良い?』って云ったら、飛んできてサインしてくれたよ」


「脅迫なんじゃ」


「どうでしょう……桜海くんが代表の息子って知らない人もいますし」


「箱に入ったお菓子も貰ったよ。二人とも休憩して、お茶にしよう? あと怜莉にどら焼きも買ってもらった」


「何だそれ」


 國村はくすくすと笑いながら地面に寝かせた竹箒を拾う。


「火の始末を終えますから、先に事務所に行っておいてください」


 國村の視線の先。本殿からやや離れた、東奥にある『東睡』という名の講堂。一人管理を任された建物に目をやる。



 夜。夕方。時間が分からない時間。


 ワンルームの部屋。フローリングに鏡花は横たわっている。

 トートバッグから振動音が聴こえて、慌てて身体を起こし、ケータイを取り出す。


 [ 公衆電話 ]の表示が光っている。


 通話応答キーを押して、黙ったままの鏡花。


「りんね?」


 一瞬の間。それから「怜莉さん」と呟く鏡花。


「……うん」


 公衆電話ボックスの中。冷えた手で受話器を握り、安堵の溜息を吐く怜莉。電話機の上には開いたままのケータイと、百円玉が何枚も積まれて置かれている。


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