【小説】ラストモーメント⑩【短編連載】



  一瞬の息苦しさ。
 日陰にあるコンクリートの壁に手を付いて、慌てて、周囲の様子を窺うトーコ。


 全く事情がわからなくなり、思い切って明るく広い場所に出ていく。そして周囲全体を見回して自分が居る場所を知る。



「……大学?」


 話しながら歩く数名のグループがトーコにぶつかる。「すみません」と謝り、過ぎていく。


 トーコは賑やかなキャンパスの中を歩いて、様々な建物の中を見て回る。


 そのうち、学生達の中に時折、制服姿の高校生を見かける様になる。



 やがて喧騒を避けて、一番奥の一番見慣れた古い建物まで移動する。庇の下で誰かが話している。



「来年度の非常勤講師の件、引き受けてくれて感謝します」


「ただ、山から離れる訳には行かないので、そう多くは」


「承知しています。
 大村先生の講演会は若い子に人気ですし、オープンキャンパスも模擬授業の特別枠は直ぐに埋まりましたし、兎も角、今日は宜しくお願いします」



 会話の後、トーコの隣を大村と呼ばれる男性の気配が通り過ぎる途中、その場に音を立て、携帯電話が地面に落ちる。「役(まもる)?」


「役!」


 呼び止めるが、聞こえていない様に後ろ姿は遠くに進んでいく。
 携帯電話を拾い、もう一度、名前を呼ぶトーコ。



 役が庇を出た瞬間に通りかがる少年とぶっかりそうになり、しかし其処には向かっていく道を前に進む少年の姿があるだけで、役は居ない。


 状況を掴めないでいるトーコは、少年を捜す。


 しかし何度も見失い、やっと模擬授業の受付を済ませ、立ち去っていく所をみつける。



 電話をポケットにしまい、トーコも受付に声をかける。


「時間割もらえますか」


 受け取り、確認するが、特別枠も大村役の名前もない。


 そしてまた、少年の姿を見失ってしまったトーコは、考えようとする程に混乱していく。


 どうしようもなくて一息つこうと、いつも通っていた図書館に入り、しかし気になり、民俗学の棚に向かう。


 並んでいる大村役の著作本を見つけて、手に取ろうとした瞬間、真後ろを通る少年。
 トーコが驚いて振り向き、本を戻そうと前を向き直すと大村役の本は初めからなかった様にもう何処にも見当たらない。


「どうなっているの……」俯いて、またひとり呟くトーコ。


 少年をみつけられないまま、模擬授業の会場前に行き、トーコは静かに待っている。



「見失っている訳じゃない……あの子は……」


 目を強く瞑るトーコ。


 そして、会場から出てきた維生(いお)と目が合う。


 

「維生くん、必ず連絡して!」

 

 


 電車の過ぎた駅。
 トーコは一階に降りるエレベータに乗る。そして違和感。


 辺りを見当たすとそこは実家の玄関の内側で、振り返ると玄関扉がある。


 

 トーコが開けようとするが開かない。

 


 仕方なく上がった家には誰も居ず、中の物は動かせるのに、外にはどうしても出られない。


 

「新幹線乗りました」

諦めた頃に維生からメールが届く。

 


「大村役の携帯電話が手元にあるのに」


 月灯りを頼りに振り子時計の電池を入れ替え、携帯に表示された時間に合わせると、時計はまた動き始める。


「維生くんと連絡がつく矛盾」


 家から出られる事はない。
 トーコはぽつりと云う。


「私だけ、死ねなかったのかな」   


 もう誰に、この状況を伝えようにも、話したくても、トーコにすら、説明出来ない場所に迷い込む。


 それでもまた維生からのメールは届き続ける。


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