第7話.Man does not live by bread alone.
「電話なんだったの?」
「遅くまで寺院が明るかったから気にしてた」
怜莉は席に戻るとテーブルの上に並んだ料理を見る。「……油淋鶏がもう無い」
「僕が殆ど食べました」と律がジョッキを降ろして答える。
「怜莉さんが戻ってくるのが遅いからです。梶さんもビール三杯目です」
メニュウ表を見ていた梶が「何か頼む?」と訊くと怜莉は拗ね気味の表情で「生ビールと油淋鶏」と呟く。
梶はウェイターを呼ぶと「生ビール二杯と紅焼排翅と東坡肉、宮保海螺片と、白灼蝦と油淋鶏」と伝え、メニュウ表を閉じる。
「定期の人払いをしたばかりで桜海も落ち着かないみたいね」
「『中央』で勉強出来る期間って最長一年でしたっけ」
「連続一年、間を開けて、×7の計七年で出入り禁止。自分を『中央の人間』と云った時点で即出禁。経営や団体に関わっていたら社会的にもいろいろアウト」
「『中央』に所属が認められているのは怜莉さんと、梶さんと」「さっき、怜莉と電話していた桜海と、オレと同じ歳の國村の四人」
「『中央』で学べるのは基本、僧侶だけなのに、所属は全員違うって前に怜莉さんが」
律は取り皿に分けた腰果鶏丁の鶏肉とカシューナッツを箸で摘む。
「業界に疎ければ、やり易い事も多いからね。人払いも出禁も遠慮なしでしないと」
怜莉はウェイターから梶の次にジョッキを受け取ると、口を付ける。
「……怜莉さん、乾杯?」律が云うと怜莉は「あ」と云い、「お疲れ様」と二人のジョッキにジョッキを当てる。
「梶さん達は最悪嫌われるだけで済むかもしれないけど、オレは『印章』のせいで怖がって逃げられるからね?」
「だから、そういう奴なら『どれだけ疾しい事があるんだ』って考えなって。りっちゃんは心の中を全部聴かれているって分かっても友達になってくれたんだろ?」
「意外と楽しくなってきたので。ね。怜莉さん、今は全く聴こえませんか」
「全く」と怜莉が答える。
「所属の条件が『影響を受けず。影響を与えず』だからね。此れを四六時中、保ったままって難しいのよ」
またテーブルに幾つかの料理が運ばれてくる。律はもう既に空になっているジョッキを見て、梶の分もビールも頼む。
「怜莉さん。怜莉さん。僕が考えている事、当ててみて」と律が云う。
「え? ええ? 心配かけてる?」
「外れです。油淋鶏が食べたい」
「……どれだけ油淋鶏が好きなの」怜莉の冷めた突っ込みに律はにこりと笑う。
「梶さん、桜海が開かずの間の片付け時期を訊いておいてって」
怜莉はタイミングを見計らい、電話での言伝を告げる。
「開かずの間ですか」
「単なる書庫だけど怪奇現象が起こるらしくて、研修生の誰も何度も入りたがらないの」
「僧侶なのに怪奇現象が不得手って、猫アレルギーのトリマーみたいな」
「梶さん、律には何でも話すよね?」
「僕も怜莉さんの話、何でも伝えますし?」
「あの……やめて?」
「というより、彼女と、梶さんは面識がある訳でしょう」
「彼女? 誰?」
怜莉が白灼蝦の海老の頭を千切りながら、此方を見ている律と梶を交互に見て、経緯の多くを飛ばした話をする。
梶は新しく置かれたジョッキを持ち上げないまま、怜莉の顔を真っ直ぐに見澄ます。
「あの子は……やめておけ」
「え?」
「気付かなかったか? 店の周りの静まっている感覚。『印章』自体を隠せる程の『秘匿』の持ち主」
「……『秘匿』」
「……やっぱり気付いてなかったか」
怜莉は海老の殻を触りながら、視線を梶に移す。
「りんねも本名と思えない。歳だって19歳ではない筈。……下手したら、三十半ば過ぎの既婚者、子供だって居る可能性も」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
間に律が入る。
「三十路超えて未成年は無理があるでしょう。確かに本名は、訊いてくる客も多いでしょうから、仮の本名の用意はあると思います。でも」
「怜莉と同等程度の影響力。要するに御伽話と思っていい。強い『秘匿』は自身の見た目すら変えてしまう。さすがに正体が鶴やら狐やらは誇張が過ぎるけども」
動きをぴたりと止めた律は、怜莉に顔を向ける。
「……少し納得した。彼女、枕の使い方を知らなかった。頭で潰すといけないから除けていたらしくて。枕自体は知ってたけれども、ベッドに並べて置いてある物を枕と認識していなかった」
「……どういう枕を使ってるんですか」
「普通の。律のとこの旅館で使っている物と同じ」
「普通の高級枕ですね。」
律が口元に縦向きの軽い拳を当てて考える。
「昔、梶さんに、怜莉は環境に恵まれていると云われた事があって」
梶はテーブルを回して、宮保海螺片の前で止める。
「『曝露』の影響を『印章』を見る方向にシフトして、『印章』の持ち主がわかる様になって、そしたら『どうしてこうなってしまうのだろう』と考えさせる人達、も多くて」
梶はつぶ貝を一口ずつ口に運ぶ「正直、オレはこれ以上、関わるのは止めた方が良いと思うよ」と云う。
「少なくとも相性は最悪だ。怜莉の『曝露』を最大限に向けても、彼女は心中を明かさないだろう。何にせよ、疎通は儘ならないだろう」
「怜莉さん」
考え込む姿勢で黙り込んでいた律が急に破顔して明るい声を出す。
「兎に角、頑張ってみてください。いつでも協力出来る様にしておきます」
「……頑張れって何を」
「先ずは伝えましょう。鍵とお金を渡した理由。一緒に暮らしたい理由。彼女に対する気持」
「……え?」
梶は無言で律を見て、溜め息交じりで「りっちゃんが相談に載るって云うなら、まあ」と云い、怜莉は二人からの注目の中、ビールを飲み干す。
「……あの。待って。未だ、此処数日の話だからね? 梶さんも律も何かしら誤解してい……」
云いつつも、辛うじて油淋鶏を皿に載せ終えた怜莉は俯いて、赤面している自分に気が付く。隣ではウェイターが追加の料理を回転テーブルに並べ始める。
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