第5楽章.Fear Zone



「ごめん。律。電話」 

 鳴っているケータイに出ると「待って」と通話保留を押す怜莉。入れ替わりに梶が入ってきて、律は個室の外に出ていく怜莉の背を見る。


 ジョッキが2つ運ばれて来て、律は「とりあえず、先に飲んでいましょう」と梶を見上げる。


「お疲れ様」「お疲れ様です」


 梶は傾けて直ぐ、中身が半分に減ったジョッキを置くと「りっちゃんって、怜莉と会うの久し振りだっけ」と訊ねる。幾つかの料理が運ばれて来る。
「前に怜莉さんと会ったのは5月の終わりですね。夏から秋の繁盛期は電話をする暇もなくて」


 律は芙蓉蛋を皿に取り分ける。


「怜莉さんの仕事って怜莉さんが望んでいた『普通』の生活と真逆じゃないですか」
「りっちゃんからして『中央』って職場、どういうイメージよ?」


「外観は普通のお寺に見えますけど本堂じゃなく本殿って、二人共、云いますよね? 研究施設である事は不思議には思いませんが、梶さんから訊く現状では、虎の威を借りる場所に思えます」


 律は「……怜莉さん、帰ってきませんね?」と梶を見ずに入り口を顔を向ける。



「梶さんが残業していたみたいだから」

 怜莉はケータイで話しつつ、アウターを羽織る。店の外の暗い壁の位置に移動して、電話の相手の桜海に訊ねる。


「ね。桜海。オレ、昔と変わった?」


 裏通り。


「え? 警戒心が強い保護犬? 何で!?」



 回想の中。

 2000年。8月某日。


 スーツ姿の梶は警察署内の廊下を歩きながら「何で、担当外に顔出して、全部話しちゃうの?」と呆れた顔をして、前を進む刑事の小松に問う。

 小松は振り返って「だから小松案件じゃないかって呼び出されて。気付いたら本人に説明してしまったらしくて」


「気付いたら説明?」


 ドアの前で立ち止まると「こうなったら半端に知識ある自分より、『中央』の梶さんにお願いするしかないでしょう」と小松は紙を挟んだクリップボードを梶に押し付ける。

 「任せました」と踵を返し、慌てて去っていく小松。残された梶はドアを開ける。


 椅子に座り、此方に背中を向けて小さく体を丸めて座っている、高校生の怜莉。


「僕は『普通』じゃなかったんですか?」


 怜莉の言葉を訊いて、梶は中に入り、内側にドアを閉める。


「どうしたものか」


 背中を見せたままの怜莉。横には黄色のトランクが置いてある。


「云わなくても、考えている事が聴こえるって事は……オレが話しにくいし、君も気が散るかもしれないし? 一先ず通常以上にはガードはさせてもらうよ」


 怜莉は顔を上げて、梶を振り返る。


「……何をしたんですか? 急に静かになった……」


 梶は側面壁の上部にある小窓の下に椅子をみつけ、怜莉の座る椅子の後ろに置き、腰掛ける。

「机も片付けてあるし、何なの此の部屋」


 怜莉は静かに立ち上がり、椅子を梶に向けて座り直す。視線を下した梶は、クリップボードのクランプを持ち上げて、1枚の紙を裏返す。


「小さい頃から親の仕事と趣味で、色んな国に住んできた。何処に行っても、時々、背後に『円』がある人を見かけた」


 梶は話しながら、スーツの内ポケットからペンを取り出すと、二重の円を描き、内円にアスタリスクを加える。


「オレは多くの人に訊ね回った。『あれは何だ』と。

 結局、一際、はっきり見えているのはオレだけだと理解した」


 云うと、梶は図を描いた紙を怜莉に向ける。

「其の『円』が『君の背後』にある」


 怜莉が振り返って見ても何もない。 「自分で確認するのは難しいと思うよ?」と告げる梶。


「日本に帰って、翻訳以外の仕事を捜そうと警察署に行ったんだ」
「……どうして警察に?」
 目の前にいる相手に不安になり、思わず突っ込んでしまう怜莉。
「普通に紹介してくれたよ? 通訳翻訳員。オレが18か国語話せるのが良かったみたいね?」
「18……?」


「で。仕事をしているうちに誰だったかに云われたの。『梶さん、言語以外に、別の物も見ているでしょう』って。


 それから『中央』と呼ばれる寺院で『通常は視えない背後の円』の研究をしていると教えられ、今の職場はそっち」


 梶は足を組み、膝の上に腕を載せて、じっと怜莉を見る。クリップボードが宙で揺れる。


「『円』の名前は、印に、文章の章で『印章』と呼ぶそうだ」


 梶は溜め息混じりに呟くと、更に話を進める。


「例えば、靴屋でスニーカーを捜す。メンズなら24以下、29以上は置いていない場合が多い。


 特段、身長が高い訳でも低い訳でもない。ただ足のサイズが平均値や中央値の枠から外れている。


 能力面でも似た事は起きる。わかりやすいのものならIQだろうね?」


「つまり、僕は何かしらの平均値から外れているってことですよね……」


 オリーブグリーンのズボンの膝元をぎゅっと握って俯く怜莉を見る梶。


「わざわざ例え話をしたんだ。足が小さくても、大きくても、不自由はあっても、誰かに責められる話じゃないだろ?」


 返す梶に強く反論する怜莉。


「違います。僕は貴方と違って気付いていなかった。


 皆、『口に出していない言葉』と『口に出した言葉』が聞こえていると思っていた。


 『口に出した言葉』で会話をするのが基本なだけだって。


 でも、今日、其れは『普通』じゃないって知ったんです」


「……君の生育環境の聞き取りに目を通したけどね? 地元の信頼が厚い政治家一族。父親は国会議員。祖父と叔父は県会議員。実家は多くの出入りがあって、双方、相手に本音と建て前がある前提と理解の上で成り立つ会話」


 梶が話途中で、一度、短く息を吐く。椅子がギッと音を立てる。


「君は中学で地元を離れ、偏差値の高い学校に在籍。寮暮らし。卒業生や生徒の保護者達の多くは議員、学者、医師、実業家という学校。君の同級生も勘や察しが良い子達の多いのだろう。


 要は逆に、気付ける環境ではなかった」


 しかし怜莉は、静かに更に反論する。


「他の子達は勘や察しが良いから相手の心中に考えが及ぶのでしょう? 僕は……『盗み聞き』……じゃないですか……」


「……盗み聞きってまた極端な」


 梶は今度はゆっくりと長い溜め息を吐く。


「平均値の上にも下にも外れて、悩む程度なら未だ良い。


 だけども外れ過ぎて『自分もしくは他人に』『大きく影響を及ぼす状態』になった人間に現れる物。


 其れが『印章』なんだ」


 クリップボードを組んだ脚の膝に置くと、図を幾つか描き出していく梶。図の下には『秘匿』『観測』『護持』と文字を振る。


「大分類で12種類。平安時代に発見されていた物で、残念ながら配慮のない名前になっている」


 怜莉は、梶の言葉に顔を上げる。


「君の影響は正直、初めてお目にかかった程度に強くてね?


 影響を受けた相手が自ら秘密を開示しまう昔話にも納得がいく。


 でも君なら今まで通り、能力と上手く付き合っていけそうだけどね?」


「……其処まで訊いて、納得した様にも、安心した様にも見えますか?」


 思わず立ち上がって、静かに表現し難い目で、梶の目をじっと見つめ返す怜莉。


「君の『印章』の名前はね」

「え?」


「『曝露』」


「え」


「影響自体に良いも悪いもない。


 誰かしらの影響を受けない一生は有り得ない。


 橘くん。誕生日、年末だったね。それまでによく考えなよ? それで考えが変わらないなら」


 梶はケータイ番号だけを書いた手書きの名刺を内ポケットから取り出す。



「桜海の電話なんだったの?」

 梶に聞かれてはっと我に返る怜莉。


 2007年10月7日。日曜日。


「……遅くまで寺院が明るかったから気にしてた」

 怜莉は席に戻るとテーブルの上に並んだ料理を見る。

「……油淋鶏がもう無い」

「僕が殆ど食べました」と律がジョッキを降ろして答える。


「怜莉さんが戻ってくるのが遅いからです。梶さんもビール3杯目です」

 メニュウ表を見ていた梶が「何か頼む?」と訊くと、怜莉は拗ね気味の表情で「生ビールと油淋鶏」と呟く。

 梶はウェイターを呼ぶと「生ビール2杯と紅焼排翅と東坡肉、宮保海螺片と、白灼蝦と油淋鶏」と伝え、メニュウ表を閉じる。


「『中央』の登録システムって何度聞いても、ややこしいですよね」と二人に訊く律。


「ややこしいけど、大半の人間は一年目で来なくなるけどね?」と軽く返す梶。

「ルールの方が厳しいんだよ」と答える怜莉に、梶は「まあね」と同意する。

「監査のメインの仕事も、外で経営や団体に『中央の虎の威』が利用されていないか。

 そもそも自分を『中央の人間』と名乗った時点で即登録抹消。研修課程終了後も同様に登録解除、立入禁止になる訳で」


 続ける梶に、律が訊ねる。「監査は『所属』って別枠のルールだから、僧侶以外も可。何年も勤務しても良いんですよね? 今は梶さんと怜莉さんと」


「オレと同じ歳の國村と、さっきの怜莉に電話してきた桜海。男ばかり4人だけだね」と答える梶。

 怜莉は二人の話を訊きながら、取り皿の腰果鶏丁の鶏肉とカシューナッツを箸で摘む。個室に入ってきたウェイターから、梶と自分の分のビールを受け取ると、ジョッキに口を付ける。


「……怜莉さん、乾杯?」

 律に云われて、怜莉は「あ」と云い、「お疲れ様」と二人のジョッキの横に自分のジョッキを当てる。


「監査自体、好かれる仕事じゃないけど、梶さん達は精々、嫌われるか根に持たれるか。でもオレは『印章』のせいで、怖がって、仕事が儘ならない事もあるからね」


 怜莉の話に、梶が即、反応する。


「だから、そういう奴は『疾しい事がある』って考えなって。りっちゃんは怜莉に心の中を全部聴かれているって分かっても友達になってくれたんだろ?」


「意外と楽しくなってきたので。ね。怜莉さん、今は全く聴こえませんか」


「全く」と怜莉は律に答える。


「監査の所属の条件が『影響を受けず。影響を与えず』だからね。四六時中、保つのって難しいよ?」

 そう云う梶。また幾つかの料理がテーブルに運ばれてくる。律は既に空になっているジョッキを見て、梶と自分の分をビールも頼む。


「怜莉さん。怜莉さん。僕が考えている事、当ててみて」と律が云う。


「え? ええ? 心配かけてる?」

「外れです。油淋鶏が食べたい」

「……どれだけ油淋鶏が好きなの」

 怜莉の冷めた突っ込みに律はにこりと笑う。


「梶さん。桜海が開かずの間の片付け時期を知りたいって。オレと桜海は入室許可下りないから手伝えないし」


 怜莉はタイミングを見計らい、電話での言伝を告げる。


「開かずの間ですか?」


 すかさず律は二人の顔を見て、問い掛ける。


「単なる書庫だけど怪奇現象が起こるらしくて、研修生の誰も何度も入りたがらないの」

「梶さん、律には何でも話すよね?」


「僕も怜莉さんの話、何でも伝えますし?」

「あの……やめて?」

「というより、彼女と梶さんは面識がある訳でしょう?」

「怜莉の彼女? 誰?」


 梶に訊かれる怜莉。白灼蝦の海老の頭を千切りながら、此方を見ている梶と律を交互に見て、経緯の多くを飛ばして簡単に話をする。


 梶は新しく置かれたジョッキを持ち上げないまま、怜莉の顔を真っ直ぐに見澄ます。


「あの子は……やめておけ」


「え?」


「気付かなかったか? 店周りの静まる感覚。『印章』自体を隠せる程の『秘匿』の持ち主」


「……『秘匿』」


「……やっぱり気付いてなかったか」


 怜莉は海老の殻を触りながら、視線を淡々と話し続ける梶に移す。


「りんねも本名と思えない。歳だって19歳ではない気がする。下手したら怜莉の一回り以上、上の可能性すら考えて……」


「ちょっと、ちょっと待ってください」

 間に律が入る。

「三十路超えて未成年に見せるには無理があるでしょう。確かに本名は、訊いてくる客も居るでしょうし、仮の本名の用意はあると思います。でも」


「怜莉と同等程度の影響力。要するに御伽話と思っていい。


 強い『秘匿』は自身の見た目すら変えてしまう。さすがに正体が鶴やら狐やらは誇張が過ぎるけども」


 動きをぴたりと止めた律は、考え込む怜莉に顔を向ける。


「……少し納得した。彼女、枕の使い方を知らなかった。潰すといけないから除けていたらしくて。枕自体は知っていても、ベッドに並べて置いてある物を枕と認識していなかった」 

「……怜莉さん……どういう枕を使ってるんですか」

「普通の。律のとこの旅館で使っている物と同じ」

「普通の高級枕ですね」

 律が口元に縦向きの軽い拳を当てて考える。


「昔、梶さんに、怜莉は環境に恵まれていると云われた事があって」

 梶はテーブルを回して、宮保海螺片の前で止める。


「『曝露』の影響の使い方を『印章』を見る方向にシフトする訓練をした。

 すると『印章』の持ち主がわかる様になって、そしたら『どうしてこうなってしまうのだろう』と考えさせる人達がとても多くて」


 梶は怜莉の話を訊きながら、つぶ貝を一口ずつ口に運ぶ。


「正直、オレはこれ以上、関わるのは止めた方が良いと思うよ?」と止める梶。


「少なくとも相性は最悪だ。怜莉の『曝露』を最大限に向けても、彼女は心中を明かさないだろう。何にせよ、疎通は儘ならない」


「怜莉さん」


 律が急に破顔して明るい声を出す。


「とりあえず頑張ってみてください。いつでも協力出来る様にしておきます」 

「……頑張れって何を」

「先ずは伝えましょう。鍵とお金を渡した理由。一緒に暮らしたい理由。彼女に対する気持」

「……え?」

 梶は無言で律を見て、溜め息交じりで「りっちゃんが相談に載るって云うなら、まあ」と云い、怜莉は二人からの注目の中、ビールを飲み干す。

「……あの。待って。未だ、此処数日の話だからね? 梶さんも律も何かしら誤解してい……」


 云いつつも、辛うじて油淋鶏を皿に載せ終えた怜莉は俯いて、自分が何故かしら汗顔と気が付く。隣ではウェイターが追加の料理を回転テーブルに並べ始める。


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