第6話.Fear Zone
幾つかの料理とジョッキが2つ運ばれてくる。「お疲れ様」「お疲れ様です」
梶は傾けて中身が半分に減ったジョッキを置くと「りっちゃんって、怜莉と会うの久し振りだっけ」と訊ねる。
「……前に会ったのは五月終わり。夏から秋の繁盛期は電話する暇もなくて」律は芙蓉蛋を皿に取り分ける。
「『中央』の仕事って怜莉さんが望んでいた『普通』の生活と真逆じゃないですか」
「りっちゃんからして『中央』ってどういうイメージよ?」
「狐が持っている虎の威を虎の威で奪ってる様な。狐からは恨まれる様な」
「確かにそういう面もあるけど」
「……怜莉さん、帰ってきませんね?」
「梶さんが残業していたみたいだけど」 怜莉はケータイで話しながらアウターを羽織る。店の外の暗い壁の位置に移動し訊ねる。
「ね。桜海。オレ、昔と変わった?」
回想の中。
スーツ姿の梶は警察署内の廊下を歩きながら「何でわざわざ担当外に顔出して、全部話しちゃうの」と呆れた顔で前を進む刑事の小松に云うと、
小松は振り返って「だから状況が飲み込めないから、小松案件じゃないかって呼び出されて。気付いたら本人に説明してしまって」
「気付いたら説明?」
ドアの前で立ち止まると「こうなったら半端に知識ある自分より、『中央』の梶さんにお願いするしかないでしょう」と小松は紙を挟んだクリップボードを押し付けて「任せました」と踵を返し、慌てて去っていく。残された梶がドアを開ける。
椅子に座り、此方に背を向けて小さく体を丸めて座っている、高校生の怜莉。
「僕は『普通』じゃなかったんですか?」
怜莉の言葉を訊いて、梶は中に入り、ドアを閉める。
「どうしたものか」
背中を見せたままの怜莉。横には黄色のトランクが置いてある。
「云わなくても、考えている事が聴こえているって事は、オレが話しにくいし、君も気が散るかもしれないし、一先ず通常以上にガードはさせてもらうよ」
怜莉は顔を上げて、梶を振り返る。
「何をしたんですか? 急に静かになった……」
梶は側面壁の上部にある小窓の下に椅子をみつけ、怜莉の前に置いて腰掛ける。
「机も片付けてあるし、何なの此の部屋」
怜莉は静かに立ち上がり、椅子を梶に向けて座り直す。
梶はクリップボードのクランプを持ち上げて、紙を一枚外し、裏返す。そしてスーツの内ポケットからペンを取り出すと、二重の円を描き、内円にアスタリスクを描いて、怜莉に見せる。
「小さい頃から時々、背後に『円』がある人を見かけた。親の仕事と趣味で色んな国に住んだ。
背後に円がある人は国に関係なく存在して、多くの人に訊ね回った。
『あれはなんだ』と。
それで何とはなしに見えている人、違和感だけは分かる人、見えてもいないのに検討外れの知ったかぶりをする人、興味で詳しく訊きたがる人、奇妙がってあしらう人。
結局、はっきり見えているのは自分だけだと理解した。その『円』が君の背後にある」
怜莉が振り返って見ても何もない。「自分で確認するのは難しいと思うよ」
「日本に帰ってきて、仕事を捜そうと警察署に行ったんだ」
「……どうして警察に」
「前に住んでた村は仕事が欲しい時は警察官に頼む」
「……何処に居たんですか、其れ」
目の前にいる相手に不安になり、思わず突っ込んでしまう怜莉。
「普通に紹介してくれたよ? 通訳翻訳員。18か国語話せるのが良かったみたいね」
「18か国語?」
「で。仕事をしているうちに誰だったかに云われたの。『梶さん、言語以外に、別のものも見ているでしょう』って。
それから『中央』って呼ばれる寺院が『背後にある円』の研究をしているって教えられて、今の職場はそっち。
印に、文章の章で『印章』との名で呼ぶそうだ」
梶はペンを仕舞うと足を組み、膝の上に腕を載せる。クリップボードが宙で揺れる。
「例えば、靴屋でスニーカーを捜す。メンズなら24以下、29以上は置いていない場合が多い。
特段、身長が高い訳でも低い訳でもない。でも脚のサイズが平均値や中央値の枠から外れている。
これは物の話で、能力面でも似た事は起きる。わかりやすいのものならIQだろうね」
「つまり、僕は何かしらの平均値から外れているってことですよね……」
オリーブグリーンのズボンの膝元をぎゅっと握って俯く怜莉を見て、梶は「わざわざ例え話をしたんだ。脚が小さかったり、大きかったりするのは不自由ではあっても誰かに責められる話じゃないだろう」と返す。
「違います。僕は貴方と違って気付いていなかった。
皆、『口に出していない言葉』と『口に出した言葉』が聞こえていると思っていた。『口に出した言葉』で会話をするのが基本なだけだって。
でも、今日、それは『普通』じゃないって知ったんです」
「……君の生育環境の聞き取りに目を通したんたけどね。地元の信頼が厚い政治家一族。父親は国会議員。祖父と叔父は県会議員。実家には多くの出入りがあり、双方、相手の本音と建て前が前提との理解の上での会話。
中学から地元を離れ、偏差値の高い学校に通いながらの寮暮らし。卒業生は議員、学者、医師、実業家と申し分ない。同級生も勘や察しが良い生徒も多いのだろう。
要は逆に、気付ける環境ではなかった」
「他の子達は勘や察しが良いから相手の心中に考えが及ぶのでしょう? 僕は……盗み聞き、じゃないですか……」
「……盗み聞きってまた極端な」
梶はクリップボードを膝に置くと溜め息を吐く。
「平均値を上にも下にも外れて悩む程度なら未だ良い。
だけども外れ過ぎて『自分もしくは他人に』『大きく影響を及ぼす状態』になった人間には『印章』が現れる。
大分類で12種類。元々は平安時代には発見されていたもので、残念ながら配慮のない名前になっている」
怜莉は、梶の言葉に顔をあげる。
「君の影響に関しては正直、初めてお目にかかった程度に強くてね。
影響を受けた相手が自ら秘密を開示しまうって昔話にも納得がいった。
でも、君なら今まで通り、能力と上手く付き合っていけそうだけどね」
「……其処まで訊いて、此れで納得した様にも、安心した様にも見えますか?」
梶の目を静かに表現し難い目で見つめ返す怜莉。
「君の『印章』のなまえはね」「え」
「『曝露』」
「え」
「影響自体に良いも悪いもない。
誰かしらの影響を受けない一生は有り得ない。
橘くん。誕生日、年末だったね。それまでによく考えなよ。それで考えが変わらないなら」
梶がケータイ番号だけを書いた手書きの名刺を取り出す。
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