【小説】ラストモーメント③【短編連載】



「それで、このボロアパートに?」


 隣部屋、大学の先輩の岸がエアコンを入れる。折り畳みテーブルに肩肘を付いて不貞腐れている維生(いお)。


「築何十年と思ってるの? 六畳一間の和室で、しかも木造二階建てって、此処一画しか残ってないから。いくら大学傍とはいえ、余程の物好きしか住まないよ?」


「だから、この辺に住んでるって……思って」 


「なんで直接訊かなかったの?」


 岸はテーブルの上のカップを手に取り、傾ける。


「女性に住所を訊くのは失礼と思って」


「意味不明。そもそもトーコさんだっけ。うちの大学来てって言った理由、何よ?」


「えっと……あれ……忘れ……」


「は?」


「先輩こそ、なんでこんなボロアパートに住んでるんですか?」


 意地の悪い口調で言い返す維生。岸は維生のわかりやすく拗ねていく様子を面白がっている。


「オレは家より車派なの」「あー。良い四駆で夜な夜な心霊スポット回っていますもんね」


「なんなの河瀬」岸が笑う。


「入居の挨拶に来た時は真面目で温和しい可愛い後輩が出来たって思ったのに。一カ月で慣れたというより、やさぐれた?」


「学校じゃ真面目ですよ? 岸先輩の部屋に来るとこういう風になるみたいで」「いや、なんでよ?」


「ただいま」


 そこにやはり同じ大学の先輩、芦野が部屋に入ってくる。


 岸が「お前の部屋二階だろ」と言うが、「オレのアイス、岸のとこの冷凍庫に入れてるから」と上がり込んで、アイスを取り出す。


「早く冷蔵庫買い替えろ」


 芦野はテーブルの空いた場所に座るとアイスを食べ始める。 


「芦野、去年、オーキャンの実行委員やってなかった?」「やってたけど?」


「大村トーコって知ってる?」


「誰それ」


「なら迷子係っている?」 


「いる訳ないだろ」


 岸は維生を見ると「だってさ」とおかしそうに笑う。


「何の話だよ」


「河瀬が女で人生ミスりそうなタイプって話」


「あーもう岸先輩、うるさい」


 維生は畳に倒れ込む。庭の木々の新緑が目に映っている。 


「東京ってもっと人が多くて賑やかで楽しいと思っていました」


「人多いし賑やかで楽しいよ?」と岸が返すと維生は「全然」と答える。


「オレのせいじゃないな。重症だわ」と岸が言い、芦野と岸は横たわる維生を見る。



 

 

 パンの品出しをするコンビニの制服姿の維生。


「入りきれないものはバックヤードに置いといて」芦野が声を掛ける。

「大学のコンビニって在校生も働けるんですね」下段のシリアル食品の膨らみを整える芦野。


「文学部なら九割は来るし、トーコさんとも会える確率高いんじゃないの」


 手を止める維生。「……芦野先輩」


「それじゃ、当分事務所に引っ込むから一人で無理ってなるまで宜しく」


 芦野は立ち上がり、カウンター奥の事務所に入っていく。
 呆気に取られていた維生は「いや、あの先輩?」とぽつりと言う。
 (いいけど……いいけど……芦野先輩、自由過ぎ……)


 

 そして季節はゆっくりとも早くとも過ぎていく。 


 

 大学の授業。同級生達との学食。大学構内のコンビニでのアルバイトは大概が芦野と一緒。物の揃わない自室。色付き始めるアパートの庭。



 岸の部屋。 


 主に食事時前に顔を出し、持参した仕送りの食材で勝手に料理を始める芦野。


 岸から勉強を教えてもらう維生。代わりにオカ研の季刊誌に掲載する記事を手伝う。「片付けて」と芦野が言い、三人で食卓を囲む。


 
 大学の図書館。


 自習室で机に向かう芦野が席を探している維生に気付き、後方に背伸びをして遮り、【下巻と換えてきて】と書かれた付箋を表紙に貼った本を渡す。


 (いいけど……図書館の本に付箋は……) 維生は下巻がない事を確認してメッセージを送る。(……もう帰ろう) と、外に出る。


 既に薄暗く、図書館周りの幾つかの樹に巻かれた電飾が温く光る。


 高校の時から着ているファー付のウィンダムパーカーの襟元をぐっと寄せ、白い息を吐く維生。 



「東京も寒いじゃないですか」 


 夜の濃くなっていく空を維生は見上げる。


「トーコさんの嘘つき」




 大晦日。


 岸の部屋ですき焼きを囲む三人。


「だって芦野先輩、作家志望なのに本の扱い雑……」


 呑水に具を装い「オレがクリスマスからずっと楽しんでる間、君ら真面目だったの?」と言う岸。

「岸先輩こそ泊まり込みの補講でしょ?」「彼女が教員だと便利だよな」と芦野は岸から吞水を受け取る。
「えええ…初耳なんだけど」と維生が言うと、岸が笑う。


「芦野。河瀬、云う様になったし、オレらにしてやれる事なくなるわ」「最初からないわ」と芦野が返す。「そうかも」と岸は楽しそうにしている。


 ふと維生は芦野が自分をじっと見ているのに気が付き「え……芦野先輩、何?」と怯む。


「言うべきか悩んでたけど」


「え? 何?」


「トーコさん、在校生じゃなかったんじゃないか?」


「え?」


 箸が止まる維生。


「あくまで仮定の話。彼女も河瀬と同じオープンキャンパスの参加者」 


「え? でも構内に詳しかったし」 


「朝から来て大体覚えたとか」と岸が話に交じる。


「どうして学生のフリして」


「逆に何年生か訊いた?」


「訊いて……ない」 


「どちらも受験生だった。入学式で再会して誤解を解いて、ネタ晴らしをするつもりだった。ところがトーコさんは不合格。気まずくなり、連絡を絶った」


 淡々と食事を続ける芦野。


「仮定の話」


「有りかも」と言う岸は「来年、再受験したりして」とからかう。


 ずっと箸が止まったままの維生。


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