第4話.衆人に訴える論証
「朝は雨だったんです。
小学校に通う姉妹の、姉は最後の歓迎遠足で妹は最初の歓迎遠足。
午前中は授業になって、昼には晴れて、帰り道は姉と姉の友達と、妹との三人」
怜莉は、屋根の下のバス停のベンチで突然話を始める男性に目を向ける。雨が弾かれた長袖のマウンテンパーカー。ずぶ濡れで傷むスニーカーが目立つ。
「友達と別れて30分後です。山を登っていく姉妹に畑仕事をしていた人が声を掛けている。『二人で遠足に行く』と答えたそうです」
「夕方になり、母親が帰宅すると玄関にランドセルが二つ並べてあって、姉妹の靴はありませんでした。
みつかったのは夜十時近く。大雨の中、二人は山道の脇道に倒れていたそうです。
妹は後遺症が残りましたが、今も4月23日にはテレビに出ます」
男性は虚ろな表情で怜莉を見て、そして怜莉の黄色のトランクに一瞬だけ目をやる。
「僕は初めての車は黄色にすると決めてたんです。
でも社用車を何度も凹ませたり、傷だらけにするものだから、中古のシルバーにしろと周りから言われました」
怜莉は黙って男性の独り言を訊き続ける。
「黒い不審車の情報が寄せられました。特定には三か月かかって、犯人でもありませんでした。
僕は退職し、寮の退去も廃車も終えていました。
新たに別の不審車の情報が何件も寄せられて、皆、黒い車なのは確かだと言うんです」
「おかしいでしょう。事故を起こした車はシルバーなんです」
「あれから16年。これから父親の十三回忌で田舎に戻ります。
どうしたらいいのでしょう。
実家に戻れば、自分は不幸だから仕方なかったと思います。
横暴な父親から逃げた先で逃げて実家に逃げ帰って、また横暴に振舞われ、自分は不幸だと思い出しました。
一番、不幸なのは自分だけです」
「次のバスに乗ったら、姉妹より姉妹の親より僕は不幸だから仕方なかったと思う筈です。
子供二人を放っておいて仕事に行く親が悪いんです」
ベンチから立ち上がった怜莉は黄色のトランクと紺色の傘を持って、男性の横に立つ。
「中里さん、反対側のバス停に行きましょう。警察署前のバス停で降りましょう。僕も付き合います」
「傘がありません。途中で壊れました」
「僕が持っています」
男性は怜莉の目を真っ直ぐに見上げるとシルバーのスーツケースを手にして、バス停のベンチから立ち上がり、怜莉が歩道で広げた紺色の傘に入る。
「僕は君に名前を言いましたか?」
「『聴き』ました」と答える怜莉。
ローソファに沿って、怜莉が背伸びをすると背凭れの裏に膝立ちで様子を窺っていた、りんねは思わず、ビクッとなり、怜莉も驚く。
「びっくりした。どうしたの?」
「ご……ごめんなさい。怜莉さん、寝ているみたいだったから」
「昔の話を思い出して、ぼんやりしてた」
りんねはテーブルの上に散らばっている沢山の往復葉書を見ている。壁掛け時計は六時五十分の位置に針。
「夜中、仕事していたの?」
怜莉は一葉の葉書を手に取るとりんねに渡す。「え? え?」「別に守秘義務のあるものじゃないから」
【 橘 怜莉 】と筆ペンで書かれた文字にりんねの視線が行く。
「近況を返信面に書いて送ってくださいってお願い。相手に手書きを頼む以上、此方も個々への挨拶と名前を手書きにしてる」
「怜莉さんの仕事って、どういうの、って聞いても良い?」
「ただの研究施設の外部監査」
困惑したまま、怜莉に往復葉書を返すりんね。
「りんね。オレが髪を伸ばしている理由、訊いたでしょう」
「……うん」
「子供の時から、『独り言』を話し掛けられる事がよくあって。ある日、中里さんって人に話し掛けられて」
「『独り言』なのに話し掛けられるの?」
「そう。でも昔の話だよ。今はもう違うんだ。それで……それから」
「それから?」
「それから思う事があって、髪を切り忘れていたら凄く伸びてた」
怜莉はテーブルの上を片付け始めながら、話をする。
「被害者が居て、加害者が居て、当然の様に加害者は罪に対して罰を受けるべき流れになるけれども」
文字が乾いている事を確認した怜莉は、全ての葉書をまとめ、ペンケースや名簿帳と共に仕事用のリュックに仕舞う。
「被害者が被害に気が付かなかったり、周囲にも罪であると理解されなかったら」
りんねは、怜莉の要領を得ない話と表情を思案顔で読もうとする。
「怜莉さん……これは何の話?」
答えない怜莉。
「ね。りんね。朝食にしよう」
急に明るい口調で云われたりんねは暫くきょとんとするが、流れる様にそのままに頷く。
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