第34話.カーシニゼーション


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 「松田さん」


 梶は松田が座れるだけのスペースを作る。和室の畳を踏むと戸を閉めて、正座をする松田。


「百音ちゃん、いつから聞いてたの?」


「私、多分、省吾さんより詳しいですよ?」


「ええ?」


 國村は、梶の気不味そうな顔に反応し「私じゃありませんよ」と淡泊に返す。


「修治よりも、私が先に知っていました」


 松田は梶を見て、得意げの笑みを見せる。


「……どういう事よ?」


 二人のやり取りの間に、比較的新しい和綴じの資料集を手に取り、開く國村。


「予備校の事務でパートをしていた時、修治の父親のお使いの方が来られて。中央に来る様、しつこいから、後日尋ねてみたんです」


「……よく行く気になったね?」


「もしかしたら修治、死んじゃったのかなって。遺書に愛する松田百音さんに全財産を渡したいって書いてあるのかもって」


「書きませんし、思ってもいませんし、遺すような財産をありません」


 思わず、会話に入る國村。


「中央の本殿で、修治の父親、代表に会って『御伽話として訊いてもらっていい話』をされて。興味深くはあったんだけど」


 少しばかり正座を崩す松田。


「百音さんか、まりかちゃんのどちらかに死んでもらいたいと言われたんです」


 言葉が出ず、暫く間を置く梶。


「でも、まりかちゃんにはイブ役を任せているからって。あまりにも不躾だし、文句を言ってやろうと立ち上がったら、部屋の隅でまりかちゃんが真っ青になってて」


「……それ、いつの話?」


 視線を外し、瞬きをして考える松田。


「2001年……修治の誕生日の大体1ヶ月後……?」


「……元カレの誕生日、よく覚えてるね?」「ほら、だって修治クイズなんて出されて答えられなくてアウトになったら嫌だし?」


「……修治、誕生日いつ?」


「2月8日です」


 視線に返す國村と、より黙り込む梶。



「梶さん」


 ノックした返事に事務室のドアが開く。キャリータイプのケーキ箱を持って入ってくるまりか。


 梶の向かうデスクの上には2001年(平成13年)巳年3月と印字された卓上カレンダー。一旦、作業を終える梶にまりかは「カレンダー、可愛くていいな」と云う。


「代表の部屋のカレンダーは大きい蛇が描かれてあるから怖くて」


「座ったら」


 しかし、まりかは立ったまま、箱を机の上に置く。


「午前中、来客があったみたいね。誰か知らないけど、敷地内立ち入り禁止とはまた入念な」


「……うん。ケーキ、貰ったの。ちょうど二個だから代表が事務所に、って。梶さんと國村さんの分」


「修治ねぇ。最近、塾の準備で来ても一瞬しか居ないんだよね。ちびっこと一緒に食べたら?」


「桜海くん、今日、用事で頼まれて深夜まで遠くなの」


「じゃあ、まりかちゃん、食べていったら?」


 応接室から持って来た皿にケーキを並べるまりか。「そっちにも紅茶無かった?」「うん」「じゃあ、今度、買っておくよ」


 梶は出来るだけ薄く淹れたインスタントコーヒーのカップをまりかに渡し、まりかはショートケーキとフォークの載った皿を渡す。


「あたしね。ずっと勘違いしてたんだ」


 椅子ごと梶に向けて、皿を手で浮かせたままのまりか。フォークでケーキの先端を切り落とす。


「桜海くんのおうちの食事は朝からきちんとしてる。


 比べて、うちはパン屋で買った見切り品の袋詰めと野菜ジュースが置かれている日も多くて」


 梶は半分程食べた所で、椅子を回して、俯いた顔を正面からみつめる。


「桜海くんちはいいなって。いつの間にか、羨ましがるのが癖になっちゃった」


 まりかは梶の目を見て、カレンダーを視野の端に入れる。


「東京から越してきて、二人で暮らし始めた朝ね。


 テーブルの上にサラダとベーコンエッグが並んでいて。トマトは潰れているし、白身と黄身で正距方位図法みたいになってるし


 ぼうっとして眺めていたら『おはよう、まりかちゃん』『トースト焼いているけど、バターが良い? ジャムが良い?』って。


 なんとなく分かったの。


 誰かの為になりたい、誰かの世話がしたいって其れが『桜海くんち』の考え方」


「実家を離れて、生まれ育った環境を再現しようとしていたの。あたしは、ただただ甘受して、何も気が付いてこなかった」


 話し終えて、トーンダウンするまりか。


「ちびっこの母親も世話焼きだったみたいね。押し掛け女房らしいけど、世話を焼いてもらった思い出を話する登録者も多いし」


 梶は珈琲のカップを持ち上げる。


「気が付いて、まりかちゃんはどうしようと?」


「……二人でルールを決めようとして……だけど桜海くんは役に立っている状況じゃないと不安になるし」


 ふと、まりかの皿が斜めになってケーキが落ちる寸前で梶が片手を伸ばして皿を水平に留める。次第に落ちるまりかの表情は睫毛の向こう。


「お母さんに謝りたい。……もう何年も何を云われても『桜海くんちの子になりたかった』って大声で喚いて云い返して、家も出ちゃって」


 睫毛の湿っていく様を窺う梶。


「うちの両親、不仲が原因で離婚したんじゃないの。


 お父さんの職場が不祥事起こして、対応に追われたお父さんがノイローゼになって。お父さんのおばあちゃん、都内だけど農家だから、仕事辞めて、家族皆、引っ越してきたらって。


 だけど、お母さんが職場に通えない場所で」


 カップを戻し、まりかの皿を支えたままの梶は予定の書かれた卓上カレンダーを確認する。


「10日後、東京出張なんだよね。まりかちゃんの席も取っておく?」


 梶の過去の回想に入れ子構造の様に入るまりかの記憶。



 夕方の玄関に、まりかの母親と桜海の祖母の声が響く。


「円ちゃん、荷物取りに帰ってきただけでしょ? また仕事戻るんでしょ?」「7時前には帰宅しますから」「それから夕食の準備? 今日も留守番させるつもり?」「もう中学生になりますし。帰りにお弁当買って……」「まりかちゃんに訊いたけど、来なかった日の夕食、炒飯と唐揚げって、お惣菜じゃないの?」


 母に向かい、必死になっていく声に、まりかが僅かに顔を出す。桜海の祖母は安堵する様な嬉しそうな顔をして「まりかちゃん!」と呼び掛ける。


「今日はね。鶏団子のお鍋よ。桜海もまりかちゃんが来るの楽しみに待ってるのよ」


「うん!」


 玄関前廊下に座っている母を過ぎて、桜海の祖母に笑顔で向けるまりか。


 「……まりか」


 長い髪を半端な高さで結び、傷んだ白いシャツにグレーのタイトスカートの母は以後の言葉を発しない。


 午後7時過ぎに固定電話のワンタッチダイヤルを押す円。受話器を持ち上げる桜海の祖父。桜海とまりかはソファに座って、はしゃぎながらテレビを見ている。


「そうですか。学校の準備はしておきます。今夜も宜しくお願いします。いつもお世話になって、すみません」 



「ううん。全部今更になっちゃったの。ずっと云っていた言葉の通りになって、あたしね。もう『桜海くんのおうちの子』だったの」


 ケーキの皿に触るだけになっていた指が、今度はしっかりと支えに戻り、梶は手を離す。


「何? 戸籍変わってたの?」


 首を振るまりか。


「……あたしも役に立たないといけないの」



「此の話、何処から訊いたら良い訳?」


「だから話せないし、話したくなかったのです」


 手に持った資料を閉じる國村。二人の様子を交互に窺う松田。


「省吾さん、部屋に通じる廊下はホワイトボードで塞いできました。

 修治のお母さんの絵も真上に飾ったので、此の部屋は『秘匿』に守られた空間。話は漏れないし、誰も入りません」


「申し訳ないな」


「今更、気を遣いますか。『中央』での母の絵の正しい使い方です」


「じゃあ訊くけど、イブって何なの?」


「於菟が作った13番目の印章。此の世界に組み込まれて以降、二人の人間が半分に分けて持つ様になった。


 桜海くんが持っているのは其の半分。其れがOriginal。


 対して、もう片方はSin。通称、イブの印章」


 梶の顔を正面から見る國村。


「イブの印章の別名は『禍の印章』です」


「まりかちゃんが持っていた訳?」


「いいえ。あくまで彼女は知らずに『イブ役』を引き受けていた」



 怜莉が白く塗り直してくれたシオマネキのストラップを愛おしそうに眺める鏡花。バスが停まり、図書館前で降りる。


 借りたキャップを更に深く被る。濡れたコンクリートの上で我に返った様に、りんねの顔をすると濃紺色の傘を開く。ミュールは歩く度に水を跳ね、キャンバス地のトートバッグは揺れる。


「怜莉さん、折り畳みの傘で大丈夫かな」


 雨音の中、一言が場に沈む。


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