☆絶観忘守
【(雑)学解説集+】
禅宗(大乗仏教の宗派)の言葉で「観を絶ち守を忘る」とも読みます。
出典は牛頭法融の『心銘』
「絶観」は真理の追求をやめる事。
「忘守」は正しい実践を忘れる事。
語り出すと大変長くなりそうなので、とてもとても簡単に説明します。
教えも、真理の追求も、正道を守る行為も全部忘れて、辿り着ける悟りの境地。
教えも真理も正道も「現在」にあり「基礎」であり、私達にとっての「囚われ」なのです。
「正しい事」は正解にはなれども、正解では辿り着けない「境地」に「悟り」がある。
毎回、本職の研究者からツッコミが入りそうな自己流メインの解説で本当に申し訳ないのですが、
「正しい」と思った瞬間に、人の思考って止まるよね! 納得したり、腑に落ちた後こそ何よりも注意しないと危険だよね!
と凡俗の私はよく考えております。
例えば「水は100度で沸騰する」と知って「常識」(守)に留まれば
水が100度で沸騰しない世界を「想像」「模索」(破)も出来ず
新たになる「知識」も、生み出せる「発展」(離)も得られないままとなります。
「決まり」の先に進む「悟り」への道。
折角なので、此の言葉に興味を持った方はより詳しい頁や法話に出会ってください。
余談として。
一般人が体験や修行を気軽に申し込める禅宗のお寺や道場は全国に満遍なくあると思います。禅宗はウェルカムな姿勢も多い宗派です🐇
ところで。当初、第19話のタイトルは『絶観忘守』でしたが、
より現状を表す『ワンダリングワンダ』に改題しました。
言葉の説明はまた次回。
簡単な単語なので気になる方は、先に検索してみてください🐢
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