第24話.ニュートンの林檎
「修治はどう思ってんの?」
長くなりかけた沈黙から、梶は國村に問い掛ける。
「申し訳なく思っています。最終的な責任は私が取ります」
「そういう事じゃなくてね。自動的に何かしらの決定事項が発生したんだろ? 其れはお前にも当てはまるんだろ? お前はどうするの?」
「私は覚悟していましたから。状況は受け入れていますが、回避したい事態である以上、捜すしか出来ません」
「於菟がみつからなかったら? 話が通じなかったら?」
桜海が強い口調になる。
「人の手に負える物ではないじゃないって何? 開かずの間?」
責め立てる桜海と、腕を組んだまま動じず、桜海を睨み返す國村。
「開かずの間は其のひとつ。未だ『亥の巻』といった方が近いのかもしれません」
「何? 『亥の巻』が呪いの本だったとか云うの?」
勢いよく云い返す桜海を梶が一旦止める。
「修治。オレもよく分からないんだけど?」
「正確には『亥の巻』を読める者が現れたが故に『禁書』であると断定されました。勿論、其の者への対処は済ませてありますが」
「え? だって亥の巻は」
梶の言葉を遮って國村がはっきりと云う。
「全て白紙です」
流れを追っていた怜莉がふと梶の方を向く。「梶さん、最後の頁って」
「ああ。於菟のサインと、さっきの英文以外は読めないの」
困惑しつつ、首を傾げる怜莉に今度は國村が話をする。
「印章を使わなければ白紙に見える。印章を使っても『何かが書かれている事』を確認出来た者は僅か」
「どういう事なの?」と訊ねる桜海。
「いや。あれは」
黙り込む梶を、怜莉と桜海が見上げる。
「あれは視えたところで読めない。未解読文字だ」
夕方になり、怜莉の部屋。
ローソファに座って、コスメブランドの小さなショッパーバッグを渡す桜海。
「いいの? ホワイトデーに渡したかった物じゃ?」
「いいの。まりかちゃん、流行り物好きだから、五年前のシリーズに興味ないと思う」
怜莉は淹れたばかりの珈琲カップを置いて隣に座る。桜海の左手薬指の細い指輪が映る。
「賞味期限? 切れているかもしれないけど」「……食べないから大丈夫」
「其れで十分、色塗れるからさ。怜莉に塗装教えたら道具一式揃えそうだし? お金持ってるぐらいしか長所ないし?」
「いや、あの、他にも捜して?」
「うん。あのさ。ごめん。今迄、まりかちゃんの話……避けてきたの」
「……口に出して云うのって難しいと思うし」
コーラ缶を傾けて、怜莉が取り出す未開封の白いエナメルネイルの瓶を眺める桜海。
「一時はあのまま帰れないんじゃないかって思ったけど、何か普通だったね。研修生も普通に勉強していたし、東睡の塾もいつも通りだし?」
コトッと音を立てて、テーブルに置かれる小さな瓶とコーラ缶。
「桜海。代表の事は遠縁の人に任せて大丈夫なの?」
「うん。葬儀場を持っている人だし、生前に決めた通り、遺体も預かって……火葬の面倒も引き受けてくれたから。落ち着いたら、お礼に行く」
「付き合おうか?」
「大丈夫。梶さんにお願いした」
座る二人は暫く静かになる。
「國村さんの云ってた話、分かる気はするけど……やっぱり分からないや」
「干支の書の持ち出し禁止は訊いていたけど『物理的に持ち出せない』って」
「破けないのは丈夫だなと思うけど、水に沈めても、火を点けても、何も起きないんでしょ? どうやって作ったんだろうね?」
また無言になる二人。桜海は再び、コーラ缶を手に取る。
「怜莉は未だどうにかなるんじゃないの? 呪われてるかもしれないけど? 暫く休んで様子見たら?」
「其れは良いよ。國村先生と梶さんが会ってきた登録者の多くは『中央』の二大派閥に関わった側。
オレと桜海が会っているのは事情を知らない側。『中央』そのものに問題があるなら出来るだけ関わらない様にお願いをしていかないと」
コーラを数口飲み、テーブルに戻さず、少し缶を凹ます桜海。
「怜莉に何かあったら、彼女が悲しまない?」
下を向いて「何も」と怜莉は呟く。
「何も伝えてないし」
「?」
「付き合うとか、好きとも云っていないし」
桜海は怜莉の顔を見ながら「んー。彼女、いくつだっけ? オレらは22だし、そういうの云わなくてもって思……」と云い「あれ?」と続ける。
「ちゃんと告白してないって意味じゃなくて、一度も好きって云ってないの?」
「……全くって訳じゃ……そういう流れで、でも、うん、って感じの返事で。あまり伝わってない様な」
「……怜莉が中央に残っちゃった理由。分かった気がする」
桜海はコーラを更に飲む。
「自分なんかを好きっていう人は何か勘違いしているか、凄く趣味が悪いと思う?」
怜莉が顔を上げる。
「『中央の人間』って知ってたら、良くも悪くも『普通じゃない』って認識だもんね? 髪も」
「髪も伸ばしたままなのは『あからさまに普通じゃない』って思ってもらいやすくて。自分は『普通になった』って心からは云い切れない……」
「じゃあさ、彼女、趣味が悪いって事で良いんじゃないの?」
無言になる中、桜海は飲み終えたコーラ缶をテーブルに置いて、掛け時計を見る。
「もうすぐ帰ってくる時間? 話してみたいけど恥ずかしがり屋さんなんだよね?」
「怜莉。初めて買ったスーツは喪服だったんだ」
玄関先で白いスニーカーを履く私服の桜海。立ち上がり「もし休みたくなったらメールして」と云うと廊下に出て、イヤフォンから音を流す。
1階エントランス。階数表示が11階で止まっている様子に気が付くりんね。
考えているうちに下降してくるエレベータの中身に不安になる。おろおろとしているうちにずれてくるトートバッグの肩紐を戻し、階段に続く白い金属ドアを見る。
「階段」
云うとドアノブに手を掛けて、重いドアを開き、内側に入る。ドアが閉まったタイミングで、ちょうどエレベータが開き、中から桜海が出てくる。
階段を横、ドアを背に、汗を掻くりんねは、鏡花の顔をしている。
何処で『鏡花』の知り合いに会うかも分からない。呼吸を整えて、急いで階段を駆け上がり、踊り場に着地しようとした瞬間。
「え」
鏡花は足を踏み外した事を理解する。背を下向きに落下していく途中。ふいに小学五年生だったあの日の出来事を思い出す。非常階段から落ちた、あの日。
あの時、落ちる鏡花に伸ばしてくれた誰かの手。
「来実ちゃん、誰に手を振っていたの?」と訊くヨリと「比奈ちゃん。うちのアパートに引っ越してきた子」と答える来実。
「転勤族?」
「違うよ。ママ達が言ってた。都落ちだって」
「……比奈ちゃん」
あの時、鏡花に届かなかった手を見つめる長い黒髪の比奈。其の手をふいに宙に上げる茶色の髪と校則違反のセーラー服姿の比奈。
「先生! 臥待さんがカンニングしています!」
落ちながら自分を助けてくれようとした人物と、カンニングの濡れ衣を着せた人物が気が付く。
同時に轟音を立て、白い金属ドアに頭を叩きつけると、床まで滑り着く鏡花。
エントランスの自動ドアが閉まった瞬間の、大きな音にイヤフォンを外し、振り返る桜海。
「え?」
「怜莉! 1階のエントランスの白いドアの内側! 凄い音がしたんだけど!? 外に出ちゃって見に行けない!」
自動ドアのガラス越しに通話を終えたケータイを握り締める桜海は上昇するエレベータと、下降して2階で止まる回数表示をみつめる。
「……りんね?」
2階フロアから階段に出た怜莉。
乱れて顔を隠す灰色の髪と見慣れたアッシュグレイのワンピースに黒いタイツ、片方が脱げたミュール、キャンバス地のトートバッグ、1階の床で倒れている姿を見つけて、青ざめて、階段を駆け下りる。
「りんね! りん……」
駆け下りて跪き、倒れている身体に触れようとした瞬間、いつもとは違う気配に、ぞわっと鳥肌が立つ怜莉。
思うも恐る恐る、ゆっくりともう一度「……りんね?」と確かめる。
其の声で意識を取り戻した鏡花は、ハッとし『りんね』の顔で怜莉の前に身体を起こす。
「……怜莉さん?」
くらっとして、激痛が走る後頭部を抑えると、ぼとぼとと涙を零すりんね。
「りんね!」
起き上がった『りんね』の顔を確かに見て、安堵して間もない。大声を出して泣きながら怜莉に抱き着くりんねを強く抱き締める怜莉。
「大丈夫? もしかして、彼女だったの!?」
桜海のケータイにもりんねの泣き声が響く。
「ごめん。桜海。また電話する」
明らかに異変のあった先で電話が切られ、左奥の白いドアをみつめながら、閉まったままのワイヤーガラスを前に立ち尽くす桜海。
「ドアじゃなくて壁なんだね」と桜海が呟く。
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