第19楽章.ハーディング現象

 


 二階自室の内側で襖に背を付けたまま、螺旋階段を下り続ける音を聴く桜海。


 一階は一階の半分の広さ。そして一階を見下ろす為に作られた、柵付のキャットウォークに出た桜海は、千社札に囲まれる窓枠の外を見る。


 縦型のビジネスバッグをショルダーにして、南正門、石の鳥居から敷地を抜けるスーツを着た梶。


「怜莉」


 一階事務所のドアを開いて、桜海に気が付く怜莉。


「……梶さんも桜海も朝から何があった?」


「別に何も無い。ただ、最近、油断していたから」


 ぶっきらぼうに答える桜海。


「……何の話?」


 訊ねる怜莉に、桜海は返事をしない。事務所にも入ってこない桜海を怪訝に思いながらも、怜莉は必要な報告を伝え始める。


「とりあえず、外回りは梶さんが引き受けてくれて、今日は其のまま直帰するって」


「あのさ。怜莉はさ。車を買って、髪も切って、普通の仕事を捜して、結婚して、一軒家も買って、犬も猫も飼って、さっさと中央も辞めて、普通に暮らしたら良いと思う」


 木の建枠に右の頭をこつりとぶつけると、半分しか開けないドアの前で桜海は呟く。


「あの。桜海? 何?」


「別に順序は関係ないからさ」


「あの……こないだは辞めるなって云って……真逆? あと猫が増えてる? えっと、何? 何なの?」


 訊く怜莉に僅かに顔を上げる桜海。


「怜莉はもう『人の真似事』なんてやめてさ」


「真似事?」


「其処だけ拾わないで」


 云って、また下を向く桜海。


「怜莉だけだからね。目的も無いのに……『中央』なんてろくでもない場所に居るの」


 桜海の話を怜莉が考えているうち、圧縮ファイルの解凍が終わる。



 それから、りんねは鏡花だった頃の記憶の夢を見る。


 小学一年生の記憶がない鏡花が二年生になる。


 隣の席は転勤族と自己紹介したアン。アンの前の席には男子達から「情報屋」と揶揄される来実。



 来実は休み時間の度に振り返り、学校や地域に関する話をアンに教えて、其れは隣の席の鏡花にもよく聴こえ、鏡花の空白の一年を埋める手助けにもなってくれた。  


 そのうち、話にヨリが加わり、席替えの後になっても、四人で話す。


「一年生の時、鏡花ちゃん、大変だったよね」と来実が訊ねる。
「まおみか? 保育園の時、私も最悪だったよ」と代わりにヨリが答える。


「ヨリちゃん、二人と同じ団地だもんね? まじ性格終わってるよね?」
 来実の話を聴いたアンは、クラスの中を見渡す。
「金髪がまおで、茶髪がみか。ケンカしてコンビ解散」と来実が説明をする。


「……髪、染めてる子が多くて覚えにくいね。鏡花ちゃんはアルビノ? って病気だっけ?」


 急にアンに訊かれて「……わかんない。違うと思う」と鏡花がワンテンポ遅れて返す。


「鏡花ちゃんだけ幼稚園だっけ?」とアンは続けて訊ねる。


「うん。えっとね、結構遠くの」とゆっくりと鏡花は話を始める。


「最初は親戚の人が其の辺りに家も建ててくれる予定だったの」と云い、再び口籠る鏡花と覗き込む三人。


「あのね。えっとね。お父さんがあの辺りはお金持ちが多くていけ好かないって」


「お金持ちはお金持ちの近くに住むの?」と不思議そうに来実が頬杖を突く。


 二年生の終わりにアンはまた転勤で引っ越して、三年生でクラス替えがあり、鏡花はヨリと三年生も四年生も同じクラスになる。


「さっき、職員室に行ったら先生達が話してるのが聞こえて」


 鏡花の席まで来たヨリが沈んだ顔をして小さくぽつりと言う。


「来実ちゃんって覚えてる?」


「うん。二年生の時に同じクラスだったよね。ヨリちゃんのママが作ったシュシュ? で、お団子頭にしてて」


「ママが作った奴だっけ。鏡花ちゃん、記憶力良いよね」


 感心しているヨリに照れてしまう鏡花は「……丸覚えだよ」とよく分からない返事をする。


「盗み聞きと丸覚えだ」


 突然、二人の側に居た男子が指を差して大声で言うと、近くに居た男子達も「なんなん?」と言って、集まり出す。


 ヨリが何か言い返そうとするが「泥棒じゃん」「犯罪者だ」と騒ぎ始める人数を見て、諦める。


「……話しにくくなっちゃったね」と鏡花が口にする。


 変なあだ名を付けられた日。


 其の日の放課後。下校途中。お揃いの傘を差して並んで歩くヨリと鏡花。


「職員室で聞いた話なんだけど。来実ちゃんのママとパパ、離婚したんだって。来実ちゃん、ママと一緒に出て行って、多分、転校」

「そうなの?」
 頷くヨリ。


「あとね。鏡花ちゃん。言いにくいんだけど」


 小雨の当たる傘を手に立ち止まるヨリ。特徴的な甘く愛らしい、ヨリの淀みのない声。


「私も転校するの」


「……いつ?」 


 聞き返す鏡花の声が震える。


「夏休み。二学期が終わったら。家を建てるんだって。だから、校の近くに建ててってお願いしたの。

 私、友達作るの下手だし。だけど、この辺りは『ミンド』が低いんだって。うちは弟二人とも悪ガキじゃん? このままここにいたら、二人とも不良になるって。私もそうだなって思ったの」


 鏡花の黄色の傘の外とヨリの黄色の傘の外に真っ直ぐで細い雨が降り落ちたまま。


「遠く?」


「遠くないと思うよ。鏡花ちゃんが行ってた幼稚園の近くだって」


「……遠くだね」
「……遠いんだ」


「臥待さん。どうして、其の食べ方なの?」


 ヨリが転校して、友達も出来ないまま、鏡花は五年生になる。


 クラス替えがあって、三週間後。


 声を掛けられた鏡花はスプーンを持ったまま、新しい担任を見上げる。


「班長さんと同じ順番」
 給食の時間は五台の机をくっつけて、生活班と呼ばれる五人組の顔が見られる状態にして給食を食べる。決まり事が厳しくなった五年生。


 鏡花を見ていた同じ班の四人は、生活班長の高橋に注目する。パン。スープ。おかず二品。全く同じ量で減っている班長と、鏡花の給食。


「げ。気持ち悪」と班長が言うと、鏡花の机と自分の机をくっつけていた二人も続けて「怖いんだけど」と言い、自分の机を鏡花の机から離そうとし、担任に止められる。



 担任は其の場に傍に立ったまま、鏡花にも、席を離そうとした二人にも注意を続け、他の班の生徒達は給食を続けながら、じっと様子を窺っている。


 そして、やっと、ヨリちゃんが全部決めてくれていた、と、気が付く鏡花。


 ノートもペンケースも傘も皆、お揃い。決まり事も四年生迄はとても緩くて、二人で席を並べて食べる給食の時間。


 「私の真似をしたら良いよ」とヨリちゃんはいつも言ってくれていた。



 五年生の二学期。冬休みに入る少し前。鏡花が11歳になった日。


 掃除の時間。


 「ゴミがゴミを掃除している」と誰かのセリフを合図にして、あっという間に、非常階段に続くガラスドアの向こうに数人からモップや箒で突き飛ばされる鏡花。


 非常階段の踊り場で掃除していた生徒達も突き飛ばされてきた鏡花を避けようと慌てる。


 「階段にゴミを投げないで」と誰かが外帚で鏡花を廊下に突き飛ばし返そうとした弾みで、鏡花は足を滑らせて、後ろ向きに倒れる。鏡花の背は階段に、それから一瞬だけ誰かしらが掴もうと手を伸ばしてくれたのを見た瞬間。


 そのまま身体を打ち付けながら、長いアルミの階段の一番下まで落下して、鏡花は校庭入り口の砂の上に叩きつけられる。


 階段の途中から、鏡花の鮮血の線が続く。


 太腿から足首に掛けて、すっぱり切れた縦長い傷口。溢れて止まらない血と、騒ぎを聞きつけて駆け付けた担任に『説明』する誰かの大声。


「臥待さんが掃除をサボって逃げようとした」


 担任が何かしら鏡花に向けて怒鳴り声を上げながら階段を降りていく。



「『秘匿』ですか?」


 運転席でハンドルを握る國村に訊き返す怜莉。信号が変わり、車を停車させると「奇遇ですね。二年前も此の位置で停車しました」と右側にある、鴗鳥小学校の門扉を見る國村。


「救急車が止まっていて、傍には担架。怪我をした生徒には『秘匿』の印章」


 前屈みで視線の先を覗く助手席の怜莉。


「印章を使い慣れていない様子で、私にも隠そうとしているものがわかりました」


「何だったのですか?」


「怪我をした理由です」


 答える國村。怜莉は姿勢を元に戻す。


「気になって、ニュースや、ネットの掲示板を捜しても殆どわからず。学校保険も使われた形跡もない。前年に『学級崩壊』ではなく『学校崩壊』が問題になった事ぐらいしか。

 結構、邪道なやり口でも当たってみたのですが……教育委員会を通しても、学校側は慣れた風に梨の礫。正に学校はブラックボックスですね」


「國村先生って、いつも冷静なのに、熱心になる場面も多いですよね」


 怜莉は國村に対して、尊敬の念を込めた様に優しい顔になる。


「私の母が『秘匿』の持ち主でした」


 信号が変わり、車を発進させて、國村は続ける。


「『秘匿』を『させる』の方向でしか使えなかった。例えば、時折、耳にしませんか。あの家には、実は娘も居るらしいという類の確認しようのない、余所の家の噂話」

「……ありますね」

 一言返す怜莉。


「母は『秘匿の印章』が原因になった形で亡くなりました。
 だから、もし、子供の頃の母に会えるのなら『其の使い方は貴方を良い場所には連れて行かない』と一緒に考えてあげたかった。私の行動原理は、心残りが故でしょう」


 怜莉は一度、前を向いて、今度は急に苦しげに切なげな表情を見せる。


「……其れって、國村先生の塾が『印章』がトラブルに繋がってしまう子供を受け入れている理由でもあるんですか?」


 ちらっと怜莉を見て、黙る國村に気が付いて、話題を変える怜莉。


「今日はありがとうございます。急に仕事が入ったのに、桜海は自室に籠って電話にも出ないし」

「構いませんよ」


「……働いて五年目なのに『中央』は未だ分からない事が多くて。

 明治の神仏分離で寺院にある御神体は神社へ、なのに仏像も他の寺院に。鳥居があっても神社ではなく、太平洋戦争では梵鐘を供出し、参拝する場所も無くて、東睡の紋章はどう見てもケツァルコアトル」


 國村は車を西に向かう道に進ませる。


「私も年を追う毎に判断に困る物が増していく一方。ですから」


 怜莉は間を置いても話をやめたままの國村の横顔を見る。


「仕事は今迄通り、頼ってくれて構いません。


 但し、私は貴方を選べません」


 怜莉は國村の隣で今朝の桜海の不可解さを思い出す。



 僅かな時間の隙間に、鏡花だった頃の夢を見ていたりんね。テーブルに臥せていた顔を上げる。ソファの横には畳み終えたタオル類の山。


 昼間の明るい寝室で、仕事に行く為の準備を始めるりんね。ブラウスとロングデニムスカート。


 ベッドの縁に座って、黒いタイツを爪先に引っ掛ける。


 外側の踝上10センチから太腿に掛けて、歪に盛り上がる、二年前の傷痕が長く伸びる。



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