第16楽章.松明持ちのウィリアム



「帰って大丈夫なの?」


 助手席の松田が運転席の國村に訊ねる。


「今夜は進展がないと思います。代表が入退院を繰り返しているのは知られた話。しかし、夜間帯の病院に単なる見舞いで大勢が集まるのは不自然。貴方の云う通り、混乱を考慮し、代表が近く死去しても、三月の『中央閉鎖』迄は隠します」


 ハンドルを握っている國村の隣で「塾の移転先捜しで、私、最近、誰ともゆっくり話す暇なかったし」と呟く松田。


「千景くん、いえ、夏目先生に伝えてください。採点の締め日は土曜日に変更すると」


 國村の言葉を訊いて、松田は車窓を向き、夜の静かな国道を眺める。


「千景さ。今日、また、アイリッシュシチューを作るの失敗して、ホワイトソースがダマだらけ。明日、お腹壊すかも」


「シチューなら市販のルウを使った方が?」

「それじゃ駄目」
「それじゃ駄目なの。パパの思い出の味なのに市販の味になっちゃう」


 國村の言葉を遮る様に云い、一瞬、間を置き、俯く松田。


「今日は新月。秋の星座は私も好き。空気が澄んでる。夜景もきっと綺麗だろうな。ね。夜景、見に行こう?」


「いいえ。家に送ります」

 事務的に道を曲がる國村。  
「ケチ! 國村先生のケチ!」

 急に声をトーンを高くて怒る松田に反応なく冷静に返す國村。

「貴方、本当は、緊急の仕事という体で、単に居心地悪い家を出たかっただけでしょう」

 國村の言葉に、顔を國村と反対に向けたまま、深い溜息を吐く松田。

「……家族ってさ。家族ごっこも上手じゃないと、機能しなくて、しんどいんだよ?」


 住宅地に入る手前のコンビニ。明るい看板と硝子張りの店舗から漏れる不自然に明るい光。駐車場に止まる國村の車。松田は國村に云っているのか、独り言なのか分からない距離感と音量で声を出す。


「莉恋がハマっているブルーマンデーキッズのロバ。お菓子を幾つか買ったらグッズが貰えるの」


「帰りも気を付けてくださいね。もう21時過ぎていますから」


 入り口から遠いコンビニのポール看板側。國村は松田を見て、声を掛ける。それから暫くして、白いコートに袖を通しながら、車を降りる松田。


 やがて、松田はコンビニのレジ袋を持って[ NATSUME ]との表札がある一軒家のドアを開ける。


「おかえりなさい」


 ふわふわとした金色の髪を揺らして、ネグリジェパジャマを着た八歳の莉恋が廊下に飛び出してくる。


「莉恋、どうして起きているの?」


 莉恋は慌てて「おやすみなさい」と踵を返す。居間で足を止めて、虚ろな目をした子供のロバのぬいぐるみを引き摺り、走って子供部屋に入っていく。


「おかえり」


 居間のテーブルで紙の束を重ねて、ペンを持っている夏目は、松田に声を掛ける。部屋には先程迄、莉恋が起きていた形跡。


「九時には莉恋を寝かせておく様に話したのに」
「ごめん」
「代表。峠は越したみたい。今日は帰っていいって」


「百音。オレは、あくまで『中央』の敷地に建っている『東睡』って建物の塾の講師で、百音だって、公私混避けて旧姓で働いているんだからさ。関係者以外にそういう事を話したら」


 千景の真上の壁にハンドバッグを投げ付ける松田。床に落ちるバッグに視線が行く。


「夫婦だから、話せるんでしょ!? 千景が他所で話さなきゃ良いだけじゃん!」 



 病院の特別室。代表のベッドから少し離れた場所の応接セット。上座にはスーツを着た怜莉と梶。目の前の下座には、生成り色のプルオーバーを着た桜海。


「怜莉、話、訊いてた?」


「……うん。急変した時の処置が早くて的確で、一先ずは何とかなったって。今は平常値に近いから、もう安定したと思って良いって」


「そうじゃなくて」


 状況を整理する怜莉の言葉を桜海の言葉が静止して、怜莉は顔を上げる。


「怜莉。今日、休みだったでしょう。そんなんだから刺されるんだよ?」


 硬直する怜莉。「未遂だけどな」と梶がさらっとフォローを入れる。


 ふと、怜莉は、りんねの事を思い出す。昨夜、怜莉のケータイを借り、職場に電話をするりんね。「真屋先生、明日……お休み頂けますか? いえ、私の体調は大丈夫で……」緊張して上擦るりんねの声の質感。数分の場面を怜莉の記憶が繰り返す。


「ごめん。帰る。何かあったら連絡して」

 リュックを持ち上げて、慌てて立ち上がる怜莉。振り返って、一言を伝える。


「桜海。今日の仕事、代わってくれてありがとう」



 病室のドアが閉まる。「梶さんは帰らなくていいの?」と桜海が訊ねる。


「残業終えたばかりでしょ?」


「来たからには帰る方が面倒でね? 桜海は其れ、仕舞わないの?」


 梶は桜海の背後に浮かんでいる『安定』の印章に目をやる。桜海が四階でハンバーガーを食べていた時には既にもう『安定』の影響は起動していて、梶も國村も無言で確認している。


「逆なんだよね。梶さんや怜莉と違って、何とか印章の形になっているレベルだから。普段の影響力なんて殆ど無くて、今回みたいに限界まで使おうとしたら、今度は自分で戻せない。でも朝には勝手に戻る……と思う」


 云って、テーブル上の缶コーヒーのステイオンタブを指で触る桜海。薬指の細い指輪が鈍く光る。


「怜莉が片付けしないで帰るなんて珍しいね」


 桜海の呟きを聞きながら、梶は自分のコーヒー缶を傾ける。


「梶さん。まりかちゃんのこと。覚えてる?」


 問われて直ぐに一瞬、無音で黙り込む梶。


「……覚えてるけど?」


「そっか」


 梶の返事に僅かに表情を曇らせる桜海。


「当時も隠し事とされたけど、もう知っている人自体も殆ど居ないし。警察も別部屋で寝かされているの確認しただけで直ぐに帰っちゃったし」


「確かに不自然な対応だったよ? 過去に何度か現場に付き合った事もあるけど」と云い掛けて、梶は話すのをやめる。


「オレの母さんと、まりかちゃんのお母さん。若い時から仲良かったの。其れで、まりかちゃんのお母さん、結婚して妊娠して、その後も家が近くて。


 母さんは福岡に嫁いた後も、都内の実家に頻繁に帰っていたし、まりかちゃんはオレが小さい頃から実の姉みたいにずっと構ってくれた」


 桜海はぎしっと音を立てて、背凭れに寄りかかる。


「梶さんにも話してるけど」


 梶は足を組んで、肘の上で頬杖を付く。


「代表にも話してるの」


 重厚な木製のベッドと周囲の医療器具。質の良い寝具。様態は伺えないものの、眠っている気配だけが伝わる。


「まりかちゃんさ。


 高校の時。リストカットやオーバードーズをする様になって、卒業後のバイトも続かなくて。

うちの子になりたいって云う様になって」


 不安定に下を向いて話し続ける桜海。


「……代表が呼んだんだよ」


 救急車の音が聴こえて、深夜受付口に遠くなる。


「代表がわざわざ東京から福岡の『中央』にまりかちゃんを呼んだの。秘書をしてほしいって。


 まりかちゃんが情緒が安定していないって、仕事も続かないって、把握した上で、でも」


 一度止んだサイレンが再び鳴り出す救急車。二人が話す病棟の建物を横切って音は遠くなる。


 桜海が黙ってしまうと静かに冷たい沈黙が長く続く。梶は徐に立ち上がり、空になった缶を2つを、ごみ箱に捨てに行く。


 其のタイミングで「でも」と桜海が口にして、梶は振り向く。「まりかちゃんも」と桜海はまた間を置いて云う。


「母さんと同じ場所で死ぬ事になった」 


「は? 今なんて」


 梶はソファに座る桜海を離れて眺めて、小さい声を出す。そして戻ってくると、桜海側のソファの肘置きに片手を置く。


「隠し事したまま寿命全う出来る人ばかりじゃないからね。


 小学一年生の夏休み。母さんは心臓発作を起こして助からなかったって訊いてた。


 だからさ。もう代表しか全部を知らないと思う。まりかちゃんを呼んだ理由だって支援や救済じゃ納得行かない。本心、本音、全部訊かなきゃいけない。


 訊き出すまでは死んでもらったら……困る」


 


「なんで戻って来たんですか」


 中央の事務室。梶に訊ねる國村。國村はデスクに重なる資料を手に取っている。


「私はまだ仕事が残っていたので」


 梶が入口傍の椅子を出して座る。


「オレ、此処で働いて八年目になるのに何にも知らないなって」


「違うのでは」


 國村は資料を確認し終えて纏めると、デスクの上から一番上の引き出しの中に仕舞う。其の合間に、梶の顔をちらっと見る。


「理由は二つでしょうか。


 『中央』は人が留まらない様に作られている。


 いつ居なくなるかも分からない相手に話すべきではないとの判断は至極自然」


「もうひとつは?」


「もうひとつは、貴方自身が何も知りたくなかった」


 國村は梶の目を見ず、抑揚無く呟くと、唐突に声のトーンを変えて「ほら帰りますよ」と行儀の良い声を出す。


「全員、寝不足じゃ、明日、仕事にならないでしょう」と声を掛けて、自分の荷物を纏め、入り口に向かう。


「じゃあさ、修治。何でオレが極力『知る』のを避けてきたのか、わかる?」


 ドアノブに手を置く國村。


「『印章のジンクス』は避けられないと考えているから、では」


「……印章を持っている人間って、鈍感って設定じゃなかった?」


 國村の言葉に梶は立ち上がると、椅子を机の下に戻す。


「合っていますよ。いつも後から気が付く。だから、梶さん、しっかりしてください。結局……貴方が頼りになるのですから」


 視線を空に上げながら、深い溜息を吐く梶。


「全貌を視ない事には何も出来ないじゃないか」と呟く。


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