第18話.松明持ちのウィリアム



「帰って大丈夫なの?」


 助手席で松田が訊ねる。


「今夜は進展がないと思います。貴方の云う通り、三月迄の安否は隠さないとならない。

 あの時間、あの場に『中央』の人間が集まるリスク、を知った上で来たのでしょう」


 ハンドルを握っている國村の隣。「最近、ゆっくり話す暇もなかったし」と呟く松田。


「千景くん、いえ、夏目先生に伝えてください。採点の締め日は土曜日に変更すると」


 松田は車窓を向いて、夜の静かな国道を眺める。


「千景さ。今日、グラタン作るの失敗して、ホワイトソースがダマだらけ。明日お腹壊すかも」


「グラタンなら市販の素を使った方が「それじゃ駄目」
「それじゃ駄目なの。パパの思い出の味が市販の味になっちゃう」


 國村の言葉を遮る様に云い、俯く松田。


「今日は新月。秋の星座は私も好き。空気が澄んでる。夜景もきっと綺麗だろうな。ね。夜景。見に行こう?」


「いいえ。家に送ります」道を曲がる國村。  
「ケチ! 國村先生のケチ!」


 住宅地に入る手前のコンビニ。其処で降りると話す松田。


「莉恋がハマっているブルーマンデーキッズのロバ。お菓子いくつか買ったらグッズが貰えるの」


「気を付けて帰ってくださいね。もう21時過ぎていますから」


 入り口から遠いコンビニのポール看板側の駐車場に車を入れる國村。暫くして、白いコートに袖を通しながら松田が降りてくる。


 コンビニのレジ袋を持って[ NATSUME ]との表札がある一軒家のドアを開ける松田。


「おかえりなさい」


 ふわふわとした金色の髪を揺らして、ネグリジェパジャマを着た八歳の莉恋が廊下に飛び出してくる。


「莉恋、どうして起きているの?」


 莉恋は慌てて「おやすみなさい」と踵を返す。居間で足を止めて、子供のロバのぬいぐるみを引き摺り出すとまた走って子供部屋に入っていく。


「おかえり」


 居間のテーブルで紙の束を重ねて、ペンを持っている夏目。部屋には先程迄、莉恋が起きていた形跡。


「九時には莉恋を寝かせておく様に話したのに」
「ごめん」
「代表。峠は越したみたい。今日は帰っていいって」


「百音。オレは、あくまで『中央』の隣に建っている『東睡』って建物の塾の講師で、関係者以外にそういう事を話したら」


 真上の壁にハンドバッグを投げ付ける松田。床に落ちるバッグに視線が行く。


「夫婦だから話せるんでしょ? 千景が外で話さなきゃ良いだけじゃん!」 



 病院の特別室。代表のベッドから少し離れた場所の応接セット。片側にスーツを着た怜莉と梶。目の前の桜海は生成り色のプルオーバーを着ている。


「怜莉、話、訊いてた?」


「……うん。急変した時の処置が早くて的確だったから一先ずは何とかなったって。今は平常値に近いからもう安定したと思っていいって」


「そうじゃなくて」


 桜海の言葉に怜莉が顔を上げる。


「今日、休みだったでしょう。そんなんだから刺されるんだよ?」


 硬直する怜莉。「未遂だけどな」と梶がさらっとフォローを入れる。


 ふと、りんねの事を思い出す。怜莉のケータイを借りて職場に電話をするりんね。
「真屋先生、明日、……お休み頂けますか? いえ、私の体調は大丈夫で……」


「ごめん。帰る。何かあったら連絡して」

 リュックを持ち上げて立ち上がる怜莉。


「……それから桜海。今日の仕事、代わってくれてありがとう」



 病室のドアが閉まる。「梶さんは帰らなくていいの?」と桜海が訊ねる。


「残業終えたところだったんでしょ?」


「来たからには帰る方が面倒でね。それより桜海、それ仕舞わないの?」


 梶は桜海の背後にある『安定』の印章に目をやる。桜海が四階でハンバーガーを食べていた時には既に『安定』の影響は起動していて、梶も國村もそれを確認している。


「逆なんだよね。梶さんや怜莉と違って、ぎりぎりで印章の形になっているから、普段の影響力なんて殆ど無くて、今回みたいに限界まで使おうとしたら、今度は自分で戻せない。でも朝には勝手に戻ると思うよ」


 テーブル上の缶コーヒーのステイオンタブを指で触る桜海。薬指には細い指輪。


「怜莉が片付けしないで帰るなんて珍しいね」


 自分の缶を傾ける梶。


「梶さん。まりかちゃんのこと。覚えてる?」


「……覚えてるけど?」


「そっか。当時も内緒にされていたけど、もう知っている人自体も殆ど居ないし。警察も別部屋で寝かされているの確認しただけで直ぐに帰っちゃったし」


「あれもかなり不自然だったけどな。過去に何度か現場に付き合った事もあるけど」と云い掛けて、梶は話すのをやめる。


「オレの母さんと、まりかちゃんのお母さん、同じスクールに通ってたの。若い時ね。


 で、まりかちゃんのお母さん、妊娠して、直ぐに辞めたんだけど。

 家も近かったし、まりかちゃんのお母さんに助け船を出したのが、うちの家族。


 母さんは、嫁いで福岡に来た後もよく実家に帰っていたし、まりかちゃんも、弟みたいなオレに少しでもお姉さんらしく見せようといつも頑張ってた」


 桜海は背凭れに寄りかかる。


「梶さんにも話してるけど」


 梶は足を組んで、膝から頬杖を付く。


「代表にも話してるの」


 木製のベッドと周囲の医療器具。質の良い寝具以外の様子は伺えない。


「まりかちゃん、いつも、うちの家に産まれたかったって云っていたの。うちの子になりたいって。


 だけど、そのうちね。


 高校卒業してリストカットやオーバードーズも酷くなって、搬送されたりして。バイトも続かなくて。うちの家にも来なくなっちゃったからさ。


 オレが呼びに行ったの。そしたら『行く資格がない』って。『二十歳になるのに何してるんだろう』って」


 不安定に下を向いて話す桜海。


「……代表が呼んだんだよ」


 救急車の音が聴こえて、深夜受付口に遠くなる。


「代表がわざわざ東京から福岡の『中央』に、まりかちゃんを呼んだの。秘書の仕事をしてほしいって。


 まりかちゃんが病んで仕事が続かない事も把握してた。


 社会復帰の練習と思えば良い、来られる日だけ来てくれたら良い、って。でも」


 一度止んだサイレンを再び鳴り出す救急車。病棟を横切って遠くなる音。


 長い沈黙の間。梶は空になった缶をごみ箱に捨てに行く。


「母さんと同じ場所で死ぬ事になった」 


「……は? 今なんて」


 桜海側のソファの肘置きに手を置いて、梶が訊ねる。


「隠したままに出来る人ばかりじゃないからね。


小学校一年生の夏休み。夜中に心臓発作を起こして助からなかったって訊かされてた。

 此の話はもっと隠されていて、当時ですら詳しく知っているのは数人しか居なくて。


 だからさ。もう代表しか全部を知らないと思う。まりかちゃんの話だって、ちゃんと訊かなきゃいけない。


 訊き出すまでは死んでもらったら……困る」


 


「なんで戻って来たんですか」


 中央の事務室で机に本を置いていた國村が訊ねる。


「オレの部屋から事務所に灯りが付いてるの、分かるからさ」


「私はまだ仕事が残っていたので」


 梶が引き出した椅子に座る。


「オレ、此処で働いて八年目になるのに何にも知らないなって」


「違うのでは」


 國村は作業の合間に梶の顔を見る。


「理由は二つでしょうか。


 『中央』は人が留まらない様に作られている。


 いつ居なくなるかも分からない相手に話すべきではないとの判断は至って自然」


「もうひとつは?」


「もうひとつは、貴方自身が何も知りたくなかった」


 國村は「ほら帰りますよ。全員、寝不足じゃ明日、仕事にならないでしょう」と声を掛けて、入り口に向かう。


「じゃあさ、修治。何でオレが極力『知る』のを避けてきたのか、わかる?」


 ドアノブに手を置いた國村が振り返る。


「『印章のジンクス』は避けられないと考えているから、では」


「……印章を持っている人間って、鈍感って設定じゃなかった?」


 梶は立ち上がると、椅子を机の下に戻す。


「合っていますよ。いつも後から気が付く。だから、梶さん、しっかりしてくださいね。結局、貴方に頼りたかったのですから」


 視線を空に上げながら、深い溜息を吐く梶。


「全貌を視ない事には何も出来ないじゃないか」と呟く。


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