第14楽章.眠り姫の有罪判決


 

「まりかちゃん。煙草」


 本殿の真裏。冷えた北側壁の明かりの下。ツインテールの茶色の髪。黒いタートルネックシャツに紫の厚みのあるニット。黒いミニスカート。白いハイカットのスニーカー。煙草を持つ手。

 声を掛けた桜海に視線を上げる。

「あたし、21歳。桜海くんの六つ上」

「そうじゃなくて。此処は禁煙。あとオレ、明後日、誕生日だから……16歳」

 まりかは法衣を着た桜海を見る。

「代表が此処で吸って良いって」

「え?」

 桜海の反対の方向に煙を吐くまりか。煙草を弾いて、灰を落とす。

「桜海くん。どうして高校辞めちゃったの?」

「急にどうしたの?」

 まりかの横顔を見る桜海。

「桜海くんはどうして此処に戻ってきたの?」

「まりかちゃん?」

 桜海が名前を口にしても、まりかは憂いている様な、寂しげな様な、形容し難い表情を続けたまま。桜海は答えを間違えない為に長く考え始める。

 先程迄、何もなかった二人の間にふいに雪が散り始めて、桜海だけが夜の空を向く。雪の混じった風が一度だけ強く吹くと、同時に、まりかのツインテールが宙に浮く。まりかは顔を上げない。

「桜海くん」

 まりかに再び視線を戻す桜海。


「あたしが死んだら……悲しい?」


 


「……まりかちゃん」


 キーボードに乗せた桜海の手がぴたりと止まる。


 2007年10月11日。木曜日午後。新月。


「……ワンタン麺」


 桜海の隣で作業していた梶が怪訝な顔して、呟きに反応を返す。

「何? 桜海、さっき一瞬、寝てなかった?」

 パソコンモニターに真っ直ぐ向けた視線。微動だにしない桜海。「起きたまま、寝てた」と素直に云うと、今度ははっきりと声を出す。

「今すぐにワンタン麺を食べないと」

 桜海の言葉に様子を窺う梶。

「……死ぬ」

「いや待て。昼食、食べてから仕事に来たんだろ? こっちは朝から食べてないってのに」

 梶の返事が終わらないうちに、桜海はデスクチェアのキャスターを一気に動かす。「だったら!」と梶の方に身体を寄せる。

「一緒に食べに行こうよ!? 其処の駿来軒!」

「……はあ? まあ……良いけど?」

 梶は大きな溜め息を吐いて、頬杖を突く。打ち込んでいた文章を保存する。



「いらっし……何だあんたらか」


「上客に失礼だ」と云う桜海に「常連客の間違いだろ?」と梶が突っ込む。


 ラーメン屋の主人は、読んでいた新聞を畳み、真ん中のテーブル席から立ち上がる。


「オレ、チャーシュー麺大盛と半炒飯」


 セルフサービスの水を汲んだコップ二つをテーブルに置く梶。作務衣コートを脱いで椅子の背に掛ける。


「オレ、ワンタン麺!」

 桜海も注文を告げると「お冷ありがとう」と席に着く梶に云う。


「夜間の定時制高校に進学希望なんだって」


 梶は首を傾げながら「誰が?」と訊ねる。

「八足くん」

 ますます梶は首を傾げて「昨日、応接室で訊いた訳?」と更に桜海に問う。

「ううん。八足くんの両親から訊いたの」

 コップの水を飲み干して、桜海は話し続ける。

「お昼にね。キッチンバルYATARIって山奥の店に行ってきた。八足くんの家は此処から1バス停先でさ。両親の経営する店迄、片道一時間? 山小屋だし、周りに何もなくて、景色が凄く綺麗だった!」

「何? 怜莉か修治にでも頼まれたって事?」

「オレが勝手に気になっただけ」


 梶がコップの水に口を付ける。

「オレが何処の誰かは言わなかったけど、男性の一人客は珍しいって話し掛けられてさ」

 梶は作務衣の襟元を整え、脚だけを楽に組む。裸足に白い鼻緒。下駄が僅かに揺れる。


「チャーシュー麺大盛とワンタン麺」


 二人の間にラーメン屋の主人が慣れた調子で麺鉢を置いていく。「あと半炒飯」と次いで持ってきた器を梶の近くに置く。三時を過ぎた店の客は梶と桜海しかいない。

「息子さん達が心配って話になってね。だったら……店の近くに引っ越したら? って思い切って言ったの」


 桜海の迷う様に、か細くなる声。梶は確かに訊きながらも静かに麺を啜る。桜海も蓮華でスープとワンタンを大量に掬う。


「山は子供の可能性が潰す場所って言われた。子供には良い環境が必要だって。此処ら辺は教育環境が整った都会だって」

「此処らが都会ねぇ? まあ、山に比べたら」


 店の主人が麺を啜っている二人の前に五つ餃子の載った半月型のタレ付皿を置く。 

「餃子、頼んでないけど?」

 チャーシューを持ち上げながら梶は年老いた主人の顔を見る。

「新作の柑橘餃子。試食させてやるよ」

 梶が皿の仕切りに醤油とラー油を落として餃子に付け、桜海はそのまま口に入れる。

「どうだ?」
「微妙」
 餃子を食べ終えてから同時に答える二人。

「だから、あんたらみたいな舌肥え過ぎた奴が来る商売は嫌なんだよ」

「ワンタン麺は美味しいよ?」
「チャーシュー麺も炒飯も美味しいけど?」

 二人のフォローを適当にあしらうと、主人は厨房に引っ込む。リモコンをテレビに向けて、電源を入れる。再び、麺を啜り始める二人。


「梶さん。八足くんの両親ね。息子二人は東京の大学に行かせたいんだよ」


 梶はスープを飲むと持ち上げていた麺鉢を下ろす。



「という話を桜海としてたんだけど?」


「ええ。私も報告を受けました」


「修治は既に把握済だろ? やっぱり親の希望は全日制な訳?」


「ですね。彼の本来の希望も造形科」


 國村が『開かずの間』と呼ばれている二階にある書庫の鍵を回し、梶がドアを開いて、中を覗く。


「……相変わらず。入り口付近に投げ置けるだけ本投げ散らかして」


「入りますよ」


 部屋に入ると梶は入り口傍に積まれた本を大量に抱える。

「いつも通り一番奥の本棚は、がら空きだろうね?」

「ですね」

 國村は梶に答えて、また自分も大量の本を抱える。


 実際にがら空きだった一番奥の棚に本を並べていく二人。


「本当は秩序正しく分類し、順に並べて行きたい……のですが、そうすれば何日かかるか」


 國村の溜め息と本の置かれる静かな気配が無音の部屋に響いて、消える。


「借りる癖に元に戻さず、放り投げて直ぐに出ていく。捜す時ぐらいは苦労しても良いと思うけどね?」


 梶の言葉に苦笑する國村。手元にある最後の本を丁重に棚に仕舞い終える。


「他の本もとりあえず全部奥に持ってくる?」と梶が声を掛ける。


「待ってください。先に雪崩れて倒れた本を起こしましょう」


 國村は本棚の空いたスペースでドミノ倒しになっていた本に目をやる。


「手分けして、と云いたいところだけども、一畳も離れると、國村の声が聴こえなくなる。國村だけじゃない。此の部屋で、相手と逸れたら永遠に会えないかもしれない?」


「本当、不便極まりないですね」


 國村もまた梶に同意する。


「出る時も入る時も必ず二人一組。しかも同時。一人が此の部屋で不調を訴え始めたら、相手は何ともなくとも一緒に出るしかない」


 梶は國村が見える位置で國村の話に耳を傾ける。半畳程離れた場所の棚。疎らに乱雑に倒れている本を集めて、せめて種類別に詰め寄せようとしている國村の元に持っていく。


「開かずの間なのに定期的に人を入れる決まり。修行なのか、単に肝試しなのか」


 思わずくすくすと笑う國村。


「結局、長時間、此処で過ごせるのは國村とオレの組み合わせだけ」


「時折、慣性の法則を無視した印章の持ち主が居ます」


 本を受け取りながら國村は語る。


「慣性の法則を無視した印章。本当に其れがあるとしたなら、そして彼らならば、此の部屋に居ても問題ないとの仮説もありました。しかし答えは出ない」


 梶は國村の話を受け流す様に、次の片付けの作業に入る。


「私個人の見解は、梶さんの『観測』が此の世界に歓迎されているのだと思っています」


「……なんでよ?」


 手を止める梶。


「人間にカウントされていないのでは。火水風地と同等の存在。……あるいは」


 其れ以上を口篭る國村に解せない顔をする梶。


「本来、空間への曝露は禁じ手なんです。人以外に影響を与える事になります。しかし怜莉くんは例外だった。私は、世界が梶さんと怜莉くんを誤認識している、若しくは世界に許可されているのかもしれないと考えてしまいます」


 座り込んで、今日一番の大きなため息を吐く梶。


「修治の話。突飛がないんだよな。要は人畜無害の見物客は無視されるって解釈にもなる。まあ、何でも良いけどね?」


 国村は適当に纏める梶の飄々さに、仕方なさそうに口許だけを緩ませる。


「開かずの間っていう癖に、敢えて必要になる本ばかりを此処に置く。其れには意味がある。しかし『中央』自体が閉鎖になって、誰も居なくなれば……」


 國村は自分の出した弱音の様な言葉に、強く表情を変える。傍らの本を手にし、しかし隣を片付けている梶に「無理でしょう」とぽつりと告げる。


「でも此の部屋に一番入りたくないのは、修治、お前だろう」


「開かずの間。書庫の管理は私の役目ですから」


 近くの本だけを並び終えた梶は空いた棚を眺め、腕を組む。窓の無い壁に寄りかかる。


「鍵を開ける時、毎回、手が震えてるんだよ。ドアだってオレが開ける様にした」


「どうして、そういう事は見ているのでしょうね」


 國村は背を向けて、ふと話始める。


「正式に所属して三年目に入る年。五年前。鍵を開けて、ドアを開けて。中には入らなくて良いと代表に云われました。当時、鍵は一つだけ。


 此の部屋には一人で入ってはいけない。此の部屋には『宇宙を模しかけた物が封じてある』。故に書庫に偽装した」


 初めて聞く話に、思考が間に合っていないのか、驚ききれない顔で背を向けた國村を見る梶。


「一人で入った者は『黒い鳥になる』という。しかし閉められたドアは開けなければ知りようがない」



 2002年3月8日。金曜日。


 鍵を回し、ドアを開いた國村は暗い部屋の中を宙に浮く人影に気が付く。揺れるツインテール。首を吊っている女性。彼女が誰かも分かる迄に時間もかからず。


 桜海が姉の様に慕っていた幼馴染。


 眞稲まりか。22歳。


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