第12楽章.砂の上の足跡

 


 國村と桜海は東睡の建物を出て、庭に出る。


「えっと! 怜莉が刺されかけて!」


 やっと、桜海が説明を始め、「何処で? 誰に」と國村は冷静に訊ねる。


「本殿! さっき、塾の生徒だっていう中学生が東玄関から入ってきて!」

「……生徒」

「怜莉が応対したんだけど、えっと、ナイフで刺されかけて」

「怜莉くんの怪我は」

「大丈夫!」  

「どんな生徒でしたか」

「学ランに苗字の刺繍がしてあって……はっそく? 漢数字の八に手足の足?」

「其れはヤタリと読みます。今、彼はどうしていますか」

「梶さんが取り押さえて! あと、ナイフは没収して、事務所の南瓜に刺してきた!」

「分かりました。本殿に急ぎましょう」


 國村に促されて、二人は本殿に向かう庭を早足で歩き始める。


「本殿では騒ぎに?」 

「大丈夫! 今日は研修生居ないから!」


 1分程、歩き、本殿の東側玄関に着く直前。急に立ち止まる桜海。


「待って。……5回深呼吸する」


 それから焦りを落ち着かせると入口の鍵を開ける。



 応接室。向かい合わせの黒いソファ。上座で俯く八足と、真向かいに座る梶。怜莉は立ったまま、窓際の壁に腕を組み、寄りかかっている。


「八足くん」


 部屋に入ってきた國村は八足に呼び掛ける。顔を上げない八足。國村は、今度は怜莉と視線を合わせ、怜莉は陰りのある笑顔で軽く会釈をする。桜海はきょろきょろと辺りを見回して、八足の後ろ、ソファ越しの位置に立つ。


「席変わる?」

 梶が國村に訊くと「いいえ。隣に」と、梶の隣に國村は座る。もう一度「八足くん」と静かに呼び掛ける。


「誰でも良かったんですか?」  


「……初めから橘さんを刺すつもりでした」


 微かに反応する怜莉。


「去年の冬休み。年末も塾に来て良いって言われて。他の先生と一緒に臼と杵を借りに行ったら、橘さんと」

 八足はちらっと後ろを振り向き、桜海が「朔」と名乗る。

「朔 桜海」

「……橘さんと朔さんが応対してくれたんです。年末年始の予定を先生達と話して、朔さんは東京から祖父母が来るから温泉に行くって言っていました。橘さんは12月30日が誕生日だけど、仕事をするつもりって。オレは休むべきだって橘さんに言ったんです。そしたら、橘さん、休むって言ったのに……誕生日なのに仕事に来て……」

「それが理由ですか」

 八足が深く頷いた後、桜海と梶は、無言のまま、怜莉を見る。視線を向けられた怜莉は「……覚えてる」と静かに返す。


 「……休もうと思ったんだ。でも朝になって、やりたい事も無いし、趣味も無いし、遊んでくれる友達も居ないから」

「……言い訳しかしないんですね」

 八足は微かに震える自分の足元に数秒、目を落とす。靴下に包まれた爪先にぐっと力を入れる。

「……嘘と言い訳だけなんですね」

 声を絞り出す八足。

「……ごめん」

 怜莉は、其れ以外に返す言葉が無くなる。


「怜莉くん。梶さん。一旦、私と退室してもらっていいですか。桜海くんは此処に残ってください」


「え?」


 國村の言葉に思わず大きな声を出す桜海。



 ドアを閉めると、國村は怜莉に、そして梶に頭を下げる。


「二人共、怪我はなかったですか?」

「大丈夫。怜莉はオレが突き飛ばしたから何処か打ったかもしれないけど」

「僕も大丈夫です。それより」


 怜莉は國村の顔を見る。


「……申し訳ありませんでした。軽い気持で休むと云ったのは確かです」

 謝る怜莉の重々しい表情を窺う梶。

「お願いして良いでしょうか。彼を否定しないであげてください。

 否定したら彼は間違えます。どう間違うのかはわかりません。

 でも否定されたら、彼は間違ってしまいます」


  國村の言葉に顔を見合わせる梶と怜莉。


「後程、改めて事務所に謝罪に伺います」


「修治さ。修治の所の生徒で、修治は塾長だけどさ。本殿でのトラブルは、監査室長のオレの責任な訳よ。だから一人で背負い込むのやめない?」


 梶は國村を向いて云う。



 応接室に残された桜海はソファを挟んで背中越しの姿勢で腕を組む。時折、下を向いたままの八足の様子をちらちらと窺う。


「……ハンティングナイフだったね。ナイフ集めてるの?」

 反応しない八足。

「ツイストダガーとかお勧めだけど」

「ツイ……?」

 桜海の方を振り返って少し視線を上げる八足。

「オレ、集めてたよ。死んだ方が良い人もいるからね。でも、辞めたの」

「……どうしてですか?」

「……ひとりにしたくない人が居る。それだけ」


 また下を向く八足が急に汗を掻いて、徐々に深刻な顔付きになっていく。僅かに振り向いた桜海だけが八足の様子を見ている。



 事務所に戻る桜海。木製キャビネットの上に載った南瓜を抱えると、入り口前で胡坐をかいて座り込む。


「……抜けないように刺したら抜けなくなった」


 そう云いながら南瓜から何とかナイフを抜こうと苦戦する桜海。


「桜海。何で南瓜があるんだ?」


 梶は訊ねながら、自分の分の珈琲を入れる。そして桜海が騒動前に座っていたデスクチェアに腰掛ける。


「ジャックオーランタンを作ろうと思って、今朝持ってきたの」


「ジャックオーランタンねぇ」と珈琲に口を付けてから梶が呟く

 


「桜海。……八足くんと……何か話した?」


 手前側のデスクにリュックを置く怜莉。段々と小さな声になりながら桜海に問い掛ける。


「話したよ。オレも大人は信用出来ないみたいな気持になった事あるって。あーもう本当に抜けない……」


 南瓜をドサッと無造作に床に置く桜海。


「怜莉。オレも思い出したんだけど、東睡の先生達と蔵に来た子。八足一砂くん。去年は中学二年生。でね。弟も餅つきに連れて行きたいけど、親に駄目って言われたって。不登校の子達が集まる場所だから駄目なのかなって悩んでた。でも両親揃って年末仕事で、自分が塾に行ったら弟だけの留守番になるって」


 桜海を見る怜莉。


「八足くんの感情の開閉器は『弟』だと思う。國村さんにも伝えておいて。気付いているとは思うけど」

「……開閉器」

「……スイッチ」 

「うん。分かるけど……ごめん。桜海。今日、早退させてもらう」 

「送っていく? 車出すよ?」

「良い。バスで帰る」

「じゃあさ。折角だから明日は休んだら? 怜莉がサボっていた仕事、引き継いでおくよ。それで今日一日、自分のしてみたい事を考えてみてさ。明日一日掛けてやってみたら?」


 梶は珈琲を啜り、二人の会話を温和しく聞いている。


「桜海。退かないと怜莉が出られないけど?」


「あ。そっか。ああ。もう未だ落ち着いてないのかな」

「……いや。普段と変わらない」

「梶さん、酷い」 


 床にナイフの刺さったままの南瓜を置いて、立ち上がる桜海。


「桜海。序にキャビネットの上の土産。怜莉の分、取り分けてやって」



「ただいま」


 玄関で照明のスイッチを押すりんね。昨日今日と使わなかった傘をアンブレララックに仕舞う時、怜莉の仕事用の靴が揃えて置いてあるのに気が付く。


 開いたままの居間との間のドアの向こう。ローソファの背凭れにスーツのジャケットが乱雑に掛けてある。 


「……怜莉さん?」


 居間に入るとバッグを床に置いて、姿勢を低くし、ローソファに横たわる怜莉の様子を覗く。背凭れに向けた顔を腕で覆い、ネクタイも緩めずに眠っている怜莉。


 りんねはローテーブルの隙間に入り、膝をついて、背中に声を掛ける。


「怜莉さん」


 僅かに動きはあった様にも見える。


 りんねが考え始めて長く立つ頃。怜莉はふっと目を覚まし、左肘をついて気配のある方向に振り返る。ソファの前、正座を崩して、りんねが座り込んでいる。


「りんね」


 開いたままのカーテン。照明だけは点けた部屋。時計の長針が落ち、7時を過ぎる。


「ずっと其処に居たの?」


 怜莉が左手を伸ばし、りんねの頬に触れる。りんねは「良かった」と答える。


「目が覚めなかったらどうしようって」

「りんね。いつから其処に座っていたの?」

「帰ってきてから。怜莉さん。やっぱり具合悪い? 私、真屋先生に連絡しようか悩んで」

「大丈夫だよ。考え事をしていたら、眠っちゃったみたいだ」


 りんねは未だ心配そうな顔をしている。


「此れで良かったのかなって。正しいと思って選んだのに、昔だったら誰かを傷付けてしまう前に分かる事も多かったのにって。もし傷付けたとしても直ぐにわかった筈って。


 自分も他人も嫌な思いをして……だから何をしたかったんだろうって。


 だけど、りんねの考えている事は最後迄、分からないんじゃないかって」


「私?」


 怜莉の独り言に、少しだけ前のめりになって、怜莉の顔をみつめるりんね。


「うん。あのね、りんね」


「うん」


「今日、刺されかけた」


 りんねの表情と、傾けているりんねの身体の動きがぴたっと止まる。


「誰に……どうして……」


「職場で知り合った人。オレが嘘を吐いたから」


 りんねの表情は動かないまま。そして空気を含む様に声を出すりんね。


「怜莉さん。怜莉さん、あのね。私は嘘を吐いたら殺されてしまっても、それはもう仕方がないと思うの」


 怜莉も動きを止める。


「でもね。でも。怜莉さんが死んじゃったら、私はどうしたらいいの」


 りんねを見る怜莉。


「そうだね。オレが死んだら、りんねがお腹を空かせちゃうね」


「怜莉さん」


「其の時はオレを食べても良いよ」


「怜莉さん、私は虎じゃないよ」


「虎? 兎じゃなくて?」


 そう返した瞬間。りんねは唐突に、崩れる様に床に頭を押しつけて声を上げ、泣き出してしまう。


「りんね」


 怜莉は突然の事態に茫然と焦りながらも起き上がり、両手を差し出し、りんねを抱え込もうとする。りんねは突っ伏したまま、大声でひたすら泣き続ける。


 「どうして。どうして、そんな事を云うの」


 「……りんね」


 時計の針は間もなく8時に向かう。

 抱き上げられて、怜莉に雪崩れ込み、未だ微かに泣き続けるりんね。怜莉は灰色の髪を撫ぜる。りんねは怜莉のシャツの腕を掴もうとして、手を浮かせたまま、止めてしまう。


「……ごめんなさ」


 しゃくりあげて、上手く云えないりんね。


「どうしてりんねが謝るの?」


 そういう風に伝え、途惑いがちに怜莉が「ごめん」と口にする。


「……私の事、嫌いになっ」


「え?」


 きょとんとしてしまう怜莉。


「……怜莉さ……お願……一人にしな……」


 また声を出して泣きそうになるりんねを更に抱き寄せる。「……うん」


「りんね。もし明日、りんねも仕事も休めるのなら、一緒に買い物に行こう? 電車に乗って、少し遠くで」


 りんねは赤い目で怜莉に視線を上げる。


「りんねのパジャマと部屋着を買いたいんだ」


 そして、ちょうど8時になる時計。


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