【小説】ラストモーメント⑫【短編連載】
「私、維生(いお)くんと同じ時間を生きられない」
トーコは言葉を続ける。
「春に届いた手紙には『大村統子の物語』が書かれていたの。
『大村統子の事は、みな知っている』って。
でも其処には『他人に一方的に書かれた大村統子の話』しかなくて、
其れは
『他人の書いた大村統子の物語』でしかなくて、
決して『私の話』ではなかったの」
泣き声を抑えながら、少しずつ話すトーコ。
「維生くん。お願い……私に、私の話をさせて。……私の話を訊いて」
「うん」
維生はトーコを抱き締めたまま頷く。
「本当はずっと維生くんの話を訊きたかった。ずっと訊いていたかった。……維生くん。維生くんも話をしてほしい」
「うん。ずっとトーコさんと話したかった。また会えるって思っていたから、その時に話そうって」
伝えるうちに維生も涙をこぼしてしまう。トーコもまた維生を抱き締める。
「それから、いままでの私達の話と、
これからの私達の話をしよう」
維生は頷いて、静かにトーコを包み込む。
玄関で靴を脱ぐ維生の父。
「糸扁(いとひら)村の記念誌を取りに来ただけだから」
サイズの小さいスニーカーを見て「零緒(れお)とハンナちゃん来てるの?」と声を掛ける。
母は「維生とトーコちゃんも来てる」と返す。
「統子?」と父が疑問形で呟くと「トーコちゃんの服、バケツに漬けたままだった」と一人騒がしい母。
父は家の奥、階段手前の和室に入り、本棚から一冊の本を取り出す。
【糸扁村の軌跡】と書かれた黒い表紙を開いていると「役(まもる)」と声を掛けられる。
振り返ると階段を降りきったトーコが和室の入り口に立っている。
「え? ねーちゃん?」
「気付いてくれて良かった。やっぱり正解だった」
「何が?」
「大変だったんだよ? 役、ずっと山に登って、大怪我しても登って、大村役って名乗り続けて。今は河瀬?」
「うん。河瀬役だけどどうしたの?」
「ごめんね。私があなたの未来を決めてしまったかもしれない」
トーコを見たままの役。
「山なら登っていた時期あるよ?」
手元で狭く開いた頁には夕刊の一面が載っている。
【2000年5月13日㈯ 糸扁村土砂災害 山側一帯壊滅的被害 死者・行方不明者多数】
記事に視線を落とした後、役は云う。
「半年ぐらい登ってた。そしたら北園さんに呼び止められて。話せるか? って。それで話して、登るのはやめた」
そしてまたトーコを見る。
「あの人は元々物好きの出戻りだから山に残るって。オレは守れないなら助けたいって」
「それでレスキュー隊?」
「うん。ねーちゃんさ。前にも言ったけど、東京に行くのもねーちゃんの理由で行ってよって。オレはどうするか決めてないし、って」
「うん。そうだったね。これも役が決めた事なの?」
「うん。それから20歳で結婚して直ぐに子供生まれてさ」
「零緒くん?」
「そそ」
「ミルクセーキ美味しかった」
「ねーちゃんも製菓学校に行くのかと思ってた」
「私は、家と地区の学校の往復だけの生活だったから、まずは日本中、それから世界中の美味しい物を食べてから考えようと思って」
役が笑っていると、トーコが切なげな顔をして
「私、維生くんを利用してしまったかもしれない」と言う。
階段から音がして、振り返るトーコ。
そして、維生が階段の途中に立っている。
「維生くん」
泣き腫らして赤い目をしている維生。
「あなたが私の未来で良かった」
「この未来に維生くんがいて、
光さんも零緒くんもハンナさんもいて。
維生くん、あなたがいてくれる未来があって良かった。
あの日の続きがあなたで良かった」
語りかけたトーコの背に向かって、役が呼び止める様に言う。
「ねーちゃん! ねーちゃんの遺体だけ未だ見つかってないんだ」
「……だったらもう見つかると思う」
目を下に伏せながら答えるトーコの後ろで役がかかってきた電話に応じる。
「……トーコさん」
維生の声で役が和室の入り口を見るとそこには白い服だけが落ちている。
浴室では透明な水の溜まったバケツに両手を入れた母は「何かを洗っていた様な」と困惑している。
数週間後。
維生の目の前に置かれた文机の上の骨覆。
座り込む様に動けなくなる維生。
「トーコさんは利用したって云うけど、違うんじゃないの?
トーコさんがみつけてくれなかったら、僕は此処に居なかったかもしれない」
「お前は覚えているんだな」
父の声で目線を上げると、宙にペンダントが揺れている。
「メモリアルペンダントを作った。お前が持っておくか?」
維生は受け取ると胸元にそっと当てる。
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