【小説】ラストモーメント⑤【短編連載】
警察署。
受付終了と書かれた会計課窓口前の椅子のある低い記載台に案内される。「空いている場所がここしかなくて」
維生(いお)は促されるまま、椅子を引き、隣に座る担当警察官に一生懸命に事情を説明する。
始めは熱心に書き留めていた警察官は、クリップボートを持ち上げ、困った顔をしている。そこに年配のスーツ姿の男性が近付いてきて、ボートを覗き込む。
「君の行方が分からない友達、大村トーコって名前か」
「知っていますか?」
前のめりになる維生。
「いいや。だけれど大村姓は山糸扁(やまいとひら)に多かった苗字だよ」
「なんですか?山糸扁って」
担当警察官が訊ねる。
「平成の大合併前は糸扁(いとひら)村、と、いってね。
地形的にしょっちゅう山崩れが起きていた村で、明治の中頃、
『神が山を見捨てた、ならば人が山を守るしかない』
そう言い出した者が居て、村人の一部が山際に移ってしまったそうだ」
「……何ですかそれ。何かのファンタジーですか? それとも新興宗教」
「宗教と見た者が多数だよ。里の人間は山糸扁と呼んで、私の祖父母辺りも『話をするな』と怒鳴れてきたらしい」
維生は唐突な話に困惑し、あからさまに不安になっていく。
スーツの男性は警部と名乗ると「写真を撮っておこう」と維生のスマホケースに下がるチャームを見る。
署を出た維生はハンドルを右に切る。
手書きのメモを確認し、教えてもらった糸扁の避難所に向かおうと農地を抜ける道を進む。(あれ……)
膝に置いた地図に目をやる。目印に赤い枠で囲ってある『祈りの刻』と書かれたモニュメント時計。
(……見落として……逆方向に出たのかも……)
目の前に続くのは、旧い店舗が疎らに向かい合う人気のない、あまりにも静かで、辛うじて手前の様子がわかる暗い通り。
維生は速度を落とす。
おぼろげな街灯を頼りに道を捜そうとカーナビを起動しかけた時、公衆電話が目に留まる。
開かれたキャビネットの扉には土が付いて、外れた受話器の先は運転席から見えない。
車を止めて降り、そして、人の気配を感じ、電話側に回る。
公衆電話の収まったキャビネット。その真下で泥だらけの女性が崩れる様に上半身を倒れ込ませ、詰まった様に苦しげに息をしている。
「……トーコさん?」
維生は駆け寄り、目の高さで何度も名前を呼ぶが、トーコは地面に顔を付けたまま、返事はない。(なんで……)
やがて、戸惑いながらも、既に土の乾いている服越しの背中にそっと手を当てる。
「トーコさん」
「なんで」
「どうしてここに……」
「東京じゃなかったんですか」
背を擦りながら独り言になる維生。トーコは苦しそうにするまま。
「……待ってて!」
維生はトーコの状態にようやく気が付く。
後部座席から水のペットボトルが幾つも入ったレジ袋を持つと、傍らに乱雑に置き、取り出して蓋を開ける。
そしてトーコを抱え込んで、水を口に含ませ、口元に指を当てる。泥の混ざった水を吐き出して、更に咳き込むトーコ。
ペットボトルの空が、三つ転がる。
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