【小説】ラストモーメント【短編連載】
立ち止まった維生(いお)の隣を、会場から出た人達が通り過ぎていく。視線を感じ、右側を見るとトーコが立っている。
「民俗学に興味があるの?」
今し方、模擬授業が終わったばかり。
「大村役って民俗学者……知ってる?」
トーコが急に訊ねる。
「え……知ってます。地元が一緒なんです。僕の父も役者の役って書いてマモルって読むんです。でも僕とは縁がないみたいで」
思わず饒舌になり答えるとトーコは「縁がない?」と何かしら考え込む顔をする。維生は説明をする。
「地元の図書館や書店で一冊も見かけなくて。ネットで買おうとしても決算エラーになったり。ここの図書館にもなくて」とまで口にした後、トーコを見て「変な……事……言ってますよね?」と気まずそうに目を逸らす。
しかし、トーコは維生を見つめ「大村役。来年度から、うちの大学で講義するみたいなの」と伝える。
「そうなんですか?」「誰にも云わないで?」「あ、はい」
トーコは維生の顔を正面から見る。
「名前。教えてほしい」ふいに顔を赤らめる維生。
「河瀬維生です」「カワセってさんずいの河?」「はい」
また考え込む様子のトーコ。「……えっと、おねーさんは?」「トーコ。大村トーコ」「え? 大村?」
「ね」
「東棟の一階にオカ研が逆向き瞑想の体験レポート貼っていたの。一緒に見に行ってくれる?」
「オカルト研究会あるんですか」維生が訊くとトーコは「案内するね」と歩き出す。
東棟一階廊下奥。掲示板に貼られた六枚程のレポートを並んで読む二人。維生は (トーコさんって美人) と横顔を見て、気付かれ、目が合ってしまう。
慌てて「トーコさんってオカ研ですか?」と一瞥に理由を作る。
「違う」「え」
ついまたトーコを見てしまう。 (受けた模擬授業。『民俗学と宗教』……この流れってもしかして宗教の勧誘……)
「トーコさん。あのなんで話し掛けられたのか気になって」
「維生くんが学内で迷っているのを何度も見かけて」と困った様に云い「私、迷子係だから」と俯いて僅かに笑みを見せる。
維生は恥ずかしさを紛わそうとよく道を間違えると話し、今朝も自由席と指定席の車両がわからなくて、と続け (これは恥の上塗りをしている) とトーンダウンする。
「帰りは大丈夫。停車位置も確認してきたし」そう言って維生はチケットケースから切符を取り出す。
トーコは「時間」と言い、維生も切符の時間を見て慌てて、スマホの時計を確認する。
「17時台のつもりだった」「15時台になってるね。間に合わなかったら指定席券は使えない筈」
「今出たら間に合いますか」
「今度は時間が余ると思う」
「えええ」
「見たい所は見終えたの?」
「一応……はい」
「わかった。学校傍の駅迄送っていくね」頷く維生。
「本当に恥ずかしいんですが…子供の頃から道や時間をよく間違えて……兄も同じで……病院では特に問題ないって言われるし」
維生が大学の敷地を出た瞬間。トーコは急に維生の右腕を掴み、倒れ込み、背に額をぶつける。
驚く維生に「ごめんね。よろけたの。でも大丈夫だったみたい」と背に額をつけたまま謝る。
駅舎出入口付近にある時刻表のパネルを見るトーコに声を掛ける維生。
指差し「この時間に乗ればスムーズに帰れると思う」と伝える。「後、40分弱だね。維生くん、パフェ食べに行こうか」
大学から駅に向かう途中で見かけたガラス張りのカフェ。窓際の丸テーブルに向き合う位置で座り、昭和レトロを模したメニューを見る維生とトーコ。
「トーコさん、おすすめある?」
「私が好きなのがこれ。男性ウケが良いのはこれ。万人ウケがこれ」身を乗り出して勧めるトーコ。「じゃあ、間を取ってこれに」「何の参考にもされていない」「しましたよ? トーコさんは?」
元の状態に座り直したトーコは目線を下に落とす。
「お金……持っていなかった」
「え。なら出します。奢ります」「さすがにそれは。しかも高校生にそれは」「今日案内してもらったし」「でも」
「だったら今日は僕が奢ります。その代わり、絶対合格して、東京にも住むし、だから……あの……付き合ってくだ……」
トーコも驚いているが、維生も自分の言葉に驚いている。 (何言ってるの……これ)
「えっと……で、なくて、えっと……あの…入学式に……このお店でトーコさんが奢っ……」
少し笑っているトーコ。
オーダーを取りに来た店員に維生はメニューを伝え、トーコも同じ物を頼む。 (……奢っていいんだ。返事OK……貰えたの?) (どっちの……)
今は話題を変えようとして維生は、つっかえていたとばかりに思い切って訊ねる。
「トーコさんって苗字、大村ですよね。大村役と何か関係が」
「阻止したいの」
「何を?」言い出そうとして言葉が見つからない様子のトーコ。
「講義をするって話ですか?」
「私もまだよく分からなくて」
そういうとトーコは主に女性客で賑わう店内のあちらこちら、奥側も見回す。そして維生を見つめる。
「維生くんと大村役は同時に存在出来ないと思う」
寂しそうな表情になるトーコ。
「……連絡先交換しませんか。僕が役立つかもしれないって事ですよね?」
トーコは少し考えて、ポケットから黒いガラケーを取り出す。 (え? もしかして面倒な男対策でサブ機?) メアドを訊かれ答える維生。 (メアドって)
そこにトーコからのキャリアメールが届く。
パフェが運ばれてくる。話は雑談に変わる。
そしてレジに立つ維生。
「今月のみの40周年キャンペーンで一人一回くじが引けます」
回転抽選器を回す。
「D賞ですね。ノベルティをどうぞ」維生に呼ばれたトーコもD賞を引く。
付箋ノートや缶バッヂ、小袋の菓子、どれもに赤いバケツのイラストが描いてある。トーコはメダルチャームを選び、維生も同じ物にする。
駅に着き、お礼と別れの挨拶を言う維生。
「もしかして心配ですか? 二階建てのわりには小さな駅だし」
維生はトーコの見せた寂しそうな顔を思い出し「そうじゃなくて」とまた焦る。
「えっと、僕、初めてのデートで奢るの憧れてて。いやちょっと待って……だから何言って」
トーコがくすくす笑う。顔を真っ赤にする維生。改札横窓口から駅員が「見送りならこっちから入って」と声を掛ける。
トーコは構内のベンチでチャームをストラップに付ける。維生もスマホカバーに、取り出したボールペンで無理矢理、穴を開け、引っ掛ける。
「ケータイ、大きいね」「このサイズは女性じゃ使いにくいですよね」
「維生くん、お願い。連絡して」
電車に維生が乗り、ドアが閉まる寸前にトーコが言う。電車が走り出す。
呼吸を整え、人が捌けてから、エレベータで降りようとするトーコ。乗った後に違和感。そして理由に気が付く。
「維生くん!」
「新幹線乗りました」カーテンが開いたままの夕陽の射す古い部屋の壁に凭れ、携帯電話の画面を見るトーコ。
チャームに指を絡ませ「良かった。今日はありがとう」と打ち、返事は送信される。
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