物書きの備忘貼
■終末にはピザを
あと1週間でクリスマス
あと約2週間で大晦日
月曜日は帰りの夜道
わたしは最期の別れの場を後に
満ちて欠け始める月を見上げていました
偲ぶには到らない
連絡が取れなくなった時間を知る数少ない身として
せめて出来る事をしたくて
開けなくなったケータイのアドレス帳を頼れなくて
一日かけて検索しては問い合わせをして電話をかけて繰り返して
「あの人」や「あの人」を捜して
ネットを頼りに繋がりを「縁」を辿り
見送る日を伝え
それは
「さようなら」以上の
「はじめまして」「また今度」の言葉となり
満月の夜に逝ってしまった人の「縁」の大きさと深さを思うばかりでした
歩き始めて途中
ふと何も気付かず渡りきる交差点の反対
静まる方角に
わたしが10代前半の頃
誰にも知られず
一人暮らしをしていたマンションがある事を
思い出したのは帰宅後でした
電車の音が聴こえなくなる時間
家族経営のコンビニも閉まる時間
気配のしなくなる街は
まるでもう世界の終わり
誰かと話したい誰とも話したくはない
誰にも知られたくはないどうかわたしをみつけてほしい
学校と仕事を終えて疲れて果てては
動けず
このまま夜が来ては辛くて怖くて
そういう日
わたしは
ケータイでピザを頼んで
ただただ「侵入しない訪問者」を待っていました
わたしのオーダーを訊いてピザを作ってくれる誰かがいる
わたしのお願いを訊いてくれる誰かがいる
届けてくれる誰かと長い会話はない
受け取って支払って見送るだけのやりとり
それでも十二分にわたしを幸福にしてくれる人達に
名前も知らない何処にあるのかもしれない土地でこの一食になるものに
携わる人達に
作ってくれる売ってくれる届けてくれる人達に
決して告げられずとも
「助けられている」と思わずにはいられない
わたしにとって宅配ピザは110番
あるいは119番だったあの頃
ああなんて湿っぽい話なのだろうと思いながらも
もしこの記事を見てくださったかたがいて
あなたとわたしは一生「はじめまして」も「こんにちは」もないままなのかもしれないけれども
あなたも「誰か」であるのだから
わたしの「辛い」を救ってくれて
また
何処かの誰かもまた救い続けているはずなのだから
本当に人の縁は不思議で満月の夜は丸いものが食べたくて宅配ピザを頼んだ日
その日
この世界を去ってしまった人が置いていったのは
わたしに与えたのは
新しい「縁」で
いつまで経っても
わたしはひとりぼっちじゃないのだって
サンタクロースが忙しく働く街の片隅で
年末年始の慌ただしい準備に追われる日々の端っこで
2025年に続く日々の途中
ずっと誰かが誰かに「ありがとう」を渡し続けられる世界を理想論としても
望みたいと思うのです
私達が辛い時「ありがとう」の言葉と「救いの食事」があり続く事を願うのです
皆様ありがとうお疲れ様です
どうぞ良い12月を過ごせますよう
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