物書きの備忘貼
■言葉は末始終、ひととひとを違えるツール。
言葉は欠陥を持ったまま、世に出たツールであり、
齟齬が起きるのは単なる仕様である。
それから。
ひとと、ひとが話し合えば、わかりあえるとするならば、
この世界では誰も失恋しない。
常日頃、考えていることがあって、他人は他人の文章をどのくらいに理解出来るのだろう、と、
考えていると、読み取る力以前の問題も多々あって、
現在。特に。
皆、時間も体力も、安定する感情も日常もなければ、
五感のひとつをも動かされることにも疲れてしまえる。
つまり、端から「全てを漏らさずに読む」という作業は、ほんの一部のひと達の趣味嗜好興味にすら近い。或いは癖、或いは礼儀にも似る。
言葉が誤解されるのは、至極自然。
しかし、そんな勘違いイベントは起こらないほうが勿論良くて、だから、それを避ける為に『言葉を選ぶ』という作業が発生し、
より多くを詳しく伝えようとして『情報過多』が発生し、結果。
言葉はより不自由へとたどり着く。
文章自体は一方的な発信であり、相手の質問や補足によって『伝達が完成する』面がある。
一昔前。以前ならば、たった一文で伝わる様な文章は「上手い」とされてきたけれども、
そもそも、とある小説家の言葉通りに『完璧』なんて何処にもなくて、
文章を読めるひと達が多かった頃の、狭いコミュニティの、乱暴に云えば、内輪ネタが通じている状態であったのかもしれない。
随分と前から其れはそうであり、いまはより明白となっていった先が
作品は完成度よりも使い勝手の良い素材を求められるという事実。
素材の意味をどう捉えるべきというのなら、
求めている側それぞれの求める素材も異なると思うし、此方も好きに想像して、どうぞ。
『解釈はセンス』
さて。
思わず長々と話してしまったのだけども。
敢えて不足している作品と、作品外での補足をちょっと自棄になって、やってみよう
と、している。ところです。
独り善がりの『完璧』は相手を置き去りやすくて。
誰かしらの『気になること』になり難くて。
相手無しの意思の疎通なんてものもまたなくて、他者の求めるものも完成度ではなくなっていて。
だから、一人で全部を上手く伝えようとしないままの『素材』をこれから此処に置いていこうと思うのです。
自棄になって、というのは、同意義の言葉にすれば、つまり。
「だから、わたしは少し身勝手でいようと思うの」
そして。
一人で全てを上手く伝えようとしないのは、繰り返す話になるように、他者が居ることにより、成り立つものばかりと知る身の想いなのです。
(2022年4月30日/再掲)
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